2021年7月1日木曜日

病理の話(551) 現役病理医によるフラジャイルの肉眼所見と組織所見

※本項はそのうち文学フリマに出す同人誌、


『フラジャイル 岸京一郎の所見』全話レビュー 史上最高の医療漫画の肉眼・組織所見を現役病理医がガチ解析し病理診断し参考文献まみれで書籍化してみた ~転生したらカンバーバッチ・クロス・ファイヤ(49 cc)だった件~


の序文です。現在「資料」を収集中。秋から冬にかけて刊行予定です。ご期待下さい。


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 要らぬ能書きは印刷会社にとってインクの無駄であり読者にとって網膜の負荷であるから今すぐにでも本論に入りたいところだが、慣例に従って数行お付き合いいただきたい。お買い求め頂いた本書は、『フラジャイル 岸京一郎の所見』(草水敏/恵三朗、講談社)(以下、「原典」と称する)の全話レビューである。

 レビュアー(著者)は現役の病理医であり、正確には日本専門医機構及び日本病理学会認定病理専門医(002797号)、日本臨床細胞学会認定細胞診専門医(3230)で、500床の中規模市中病院(JA北海道厚生連札幌厚生病院)の病理診断科主任部長である。著者の職務は患者から採取された検体を肉眼・顕微鏡・遺伝子解析などを含めて病理診断する「病理診断」。胃、腸、肝臓、胆嚢、胆管、膵臓、乳腺、肺、甲状腺、リンパ節、骨髄、皮膚、子宮、卵巣、膀胱、前立腺など全身ほぼすべての臓器を担当し、がん、良性腫瘍、感染症、自己免疫疾患、自己炎症性疾患、変性疾患などの中から細胞学的に変化を見いだせる(器質的変化を有する)あらゆる疾病に対して確度の高い診断を行う。各臨床科との院内カンファレンス、及び院外で複数の医療者たちと執り行う研究会では、血液検査、画像検査、一般検査、感染症検査などと病理組織診断とを対比することで臨床と病理、基礎研究と病理の橋渡し(translational pathology)に尽力している。博士(医学)。博士論文は滑膜肉腫のキメラ遺伝子の解析であったが、現職における研究テーマは消化管・肝胆膵の病理診断、臨床画像(拡大・超拡大内視鏡、超音波、上部消化管バリウム検査、下部消化管3DCTなど)と病理組織像の対比、そして機械学習モデルによる病理診断である。

 自己紹介がてら「一例報告」として市中病院勤務の病理医の業務を概観した。著者の業務は大きく二種類に分類される。「診断」と「研究」。あらゆる病理医がそれぞれ診断と研究に邁進しているが、その比率は人によって異なる。たとえば著者の本職は病理診断であり、診断と研究の実務比率は6:4程度である。著者のように、病理診断を主たる業務とする病理医のことを一般に「病理診断医」と呼ぶ。これに対し、研究がメインと自認する病理医を「病理学者」と呼称する(確たる定義があるわけではなく便宜上である)。

 たとえば原典6巻に登場する一柳教授(慈救大教授)は「病理医/ただし病理学の研究専門で臨床での患者の病理診断はしない」と説明されているので「病理学者」に相当する。また、原典9巻に登場する手嶌禄は慶楼大学病院勤務の病理診断医から研究者へと舵を切ったエピソードが描かれており「病理診断医→病理学者」というキャリアと説明できる。

 これに対し、原典の主人公(岸京一郎)は市中病院で勤務する病理診断医である。ただし後述するように岸は原典の中でしばしば研究も行っている様子が窺える。また、原典の狂言回しでありもう一人の主人公である宮崎智尋は、病理専門医資格の受験を目指す病理「専攻医」と呼ばれる研修生であるが、作中ではもっぱら病理診断業務及び上司のデスクの損壊、患者の連れだし、病理ラボセンターへの殴り込み、勤務中にパンケーキを食すなど病理学者としての側面はまだ見られず純然たる病理診断医であると言える。従って、あくまで私見ではあるが、本書の細部を現場の臨場感を持って語るには病理学者よりも病理診断医の方が適任であると考える。ただし原典においては病理診断医だけでなく病理学者の奮闘や哀切も多様に描かれている。著者は病理学者→病理診断医のキャリアを歩んでおり、現在も臨床研究こそ遂行しているが純粋基礎研究には従事しておらず、令和3年現在のアカデミア中枢の空気感については門外漢である。この点を考慮し、本書の執筆においては「いんよう!」主宰・本同人誌の共著者である牧野曜(敬称略)にpeer reviewを依頼した。本書のアカデミアにかんする記載の中に誤りがあればそれはすべて著者自身の責任ではなく牧野曜に負うものであるのでご留意いただきたい。


それではさっそく一話から、いや第一話の扉前の導入から、一コマずつ病理診断医による所見の解析を行う。本書の目的はあくまで病理診断医の職能を活かした原典の病理組織学的解析であり、原典のストーリーそのものの精緻さや伏線回収の見事さ、描画・コマ割り・セリフ配置といった超絶漫画技巧、布施美玖の美しさなどをファン目線で蕩々と語ることは趣旨に反する。以上より本書のshort running titleを「『フラジャイル 岸京一郎の所見』の所見」(19文字)と定める。