2021年7月19日月曜日

病理の話(557) 効率とニュアンス

病理医の中でも意見が分かれる話をしよう。


病理医ががんを診断するとき、「これは○○がんです」と名付けて終わりにはしない。たとえばこのように記載する(今てきとうに考えるので実際の報告書とはいろいろ違います)。



胃癌:1病巣

占拠部位:体下部前壁,

肉眼形態:pType 0-IIa+IIc,

大きさ:32×28 mm,

組織型:高分化型管状腺癌(tub1>tub2)

深達度:pT1b1(SM1, 粘膜筋板下端から280 μm)

浸潤様式:INFb

脈管侵襲:Ly0(D2-40), V0(EVG),

消化性潰瘍の有無:UL0,

リンパ節転移:pN0(0/22)

断端:pPM0(25 mm+迅速組織診供与分), pDM0(85 mm)

Stage IA: pT1b, pN0, M0




いきなりの暴力的な箇条書きで失礼。

これにはすべて意味がある。

子どものころからポケモンやモンハンのアルティメットマニア的極厚攻略本を読んでいた人だと、ビシビシ伝わるかもしれない。「がん」と一言で言っても多彩なパラメータがあって、それらを事細かに書き記すことが、一般的な病理医の通常業務である。



さあ、「意見が分かれる話」というのはここからだ。

これらの箇条書き項目を、「多すぎる」と感じる病理医と、「少ないくらいだ」と感じる病理医とがいる。FIGHT!



箇条書きが多すぎると感じる病理医は以下のように言う。

「これらの項目の中で、臨床医や患者にとって本当に役立つ情報は、『断端』、すなわちがんが採り切れているかどうかと、最後の『Stage』、つまり病期分類の部分だけじゃないか?

ほかは、書いてあってもなくても、ベッドサイドでの方針決定にはさほど関与しない。

それなのに、こんなに細かくパラメータを埋める作業にどれだけ意味があるのか。労力がかかってしょうがない。

やることが増えると、見落としや書き間違いだって増える。

最低限の、役に立つ情報だけに絞るべきだ。現に、WHO分類の評価項目はもっと少ない。」



逆に、書いている内容が足りないと感じる病理医もいる。だいたい以下のようなことを言う。

「現時点でのデータを元に、役に立つとされるパラメータばかり書いているレポートだが、しょせんは箇条書きに過ぎず、味気ない。

もっと細胞の具体的な性状をきちんと記載しないとだめだ。

どういう細胞質を持ち、どういった核の形状をした細胞が、どのように増えて広がっているのかを読み解けるのは病理医だけ。

パラメータはエビデンスが積み上がるごとに変わっていくが、細胞がどういう形状をしているのかは『時を超えて伝わる』。

素描を丁寧に行えば、後の世になって報告書を見直してもその価値が落ちない。

病理医とはエビデンスを作る仕事でもある。患者と医者の双方が苦労して体内から採ってきた検体を、雑な箇条書きのためだけに使い潰してはいけない。」


まあどちらにも一理ある。

だらだら書いたけれど、要は「効率」と「ニュアンス」のどちらを取るか、という話だ。

夜のスポーツニュースを見るときに、今日も大谷さんがオオタニサーンでした(訳:ホームランを打ちました)とわかればそれで満足、という人もいれば、大谷翔平選手の全打席・全球種を見て打席の外し方やベンチに返ってからの笑顔まで見たいという人もいる。これと一緒。

オオタニサーンだけ見ている人が悪いとも思わない。要はスカッとできればいい。

一方で、大谷翔平推しの方々にとっては、Twitterでも気軽に流れてくるホームラン映像だけでは夜のスポーツニュースを楽しみに待った甲斐がない。せっかく遅くまで起きて待っていたのだから、少しでも大谷さんのオオタニサン以外の部分を見てみたいと思うことだろう。



病理医の仕事は、どこか報道に似ているなあと感じることがある。病理診断レポートと、スポーツニュースリポート、慣習的にレとリの違いはあれど、reporterの重要性が問われることは共通している。

普通の人がたどり着けない情報、カメラが潜り込めない場所で、機材が揃っていないと撮れないレアものを見つけて、それにわかりやすい解説をかぶせて編集し、人に届ける。

このとき、編集の仕方はおそらく、それを見る人が「どういう視聴者層なのか」によって変わってくる。熱心な医療者を相手にしていれば自然とレポートも熱心になる。効率を取るか、ニュアンスを取るか。どっちもやる、それができたら一番いいだろう。相当がんばらないとうまくいかないだろうけれど。