2021年7月30日金曜日

ごましお

「東京で講習会があるから金曜日は休みます」はわりと簡単に言い出せる。でも、「金曜日にオンデマンドの講習会を受けたいので仕事を休みます」は言いづらい。

テレワーク、テレワークというけれど、テレの時点でワーク感はやはり薄れるのであった。医療系の仕事というのは現場にいてなんぼ。いくら脳だけで働いていると言っても、体が見えない職員は医療者として人数にカウントされないのである。これは理屈じゃない、感覚の問題だ。一度でいいから、土日にいっぱい動画で勉強したので月曜日は代休、をやってみたい。いつか部下が申告してきたら「いいよ!」と言ってあげたいが、さて、当科に部下はいつ入ってくるのだろう。



札幌市内の気温が21年ぶりに35度を上回ったという。一日中職場にいるから実感がわかない……はずが、デスクの横にある窓から輻射熱で伝わってくる外気温がやばいのでこの異常さはよくわかる。ぼくのデスクだけ検査室の中で2度ほど気温が高い気もする。汗だくに……ならない自分に老いを感じる。昔はこの暑さで働いていたら本当にびっしょびしょになったものだ。キーボードだって汗まみれだったはず。ぼくの職歴は20年には達していないから、今年の夏は働き始めて一番暑い夏のはずなのに、過去にないくらいサラサラしている(サラサラは言い過ぎ)。こまめに水分を取りトイレにも行っていて、水代謝は悪くないはずだが、汗の出が少しおとろえた。そんなことを黙々と考える。



昨年の4月以降、飲み会をしていない。おそらくもうこれで「うちの職場の飲み会」は滅亡するだろうという予感がある。似たようなことは、大学のサークル・部活などにも起こっているだろう。大学生にとって「2年間が空く」というのはほとんど世代が入れ替わってしまうということだ。先輩方の飲み方は、新人達が成人するころにはもう継承されていないに違いない。「飲み会」が死語になる。

当院の検査室の職員もいまや大半がぼくより若い。知らない顔はいないが、名前を覚えていないスタッフは何人かいる。ネットワークの切断がくり返されていく。想像したくないことだが、おそらく、うちの検査室の中には「ツイッターでしかぼくを知らない人」が何人かいる。つながっているようでつながっていない。表層のごく一部分でしかつながっていない。それが今のデフォルトなんだと思うし、振り返ってみると、飲み会ごときで検査室の全員と繋がった気になれていたこと自体がおかしかったのだと思う。思い出す限りでぼくは歴代の検査室のスタッフたちと年に何度も杯を酌み交わしてきたが、結局は何も見ていなかったし何も知らないままであった。なあんだ、べつに、時代がどうとか、ソーシャルディスタンシングがどうとか、IoTがどうとか言わなくても、ぼくらは元々断線していたということ。うん、まあ、そうなんだろうなあと言うことをコツコツと考える。



職場に顔を出さなければ働いていることにならないというのは、たぶん、「顔を見ないといよいよぼくらは断絶してしまうから」という古式の恐怖みたいなものが、ぼくら中年の頭にこびりついているからなのだろう。汗腺が減るようにしきたりも摩耗していく。だんだん、どうでもよくなっていく。熱力学は現象を不可逆であると言う。少しずつ多様性が高まって、秩序がノイズに溶けていく。ごましおにコショウを混ぜて振ったら、もう元のごましおには戻せない。