2021年7月29日木曜日

病理の話(560) 細胞の中身をどこまで見られるか

中学校・高校の生物の時間に、大半の人びとは細胞のことをちょっとだけ習う。細胞にどんな部品が含まれているのか、あなたは覚えているだろうか?


たいていの人が「あー、あったあった」と返事してくれるのは、


・核

・ミトコンドリア


のふたつではないかと思う。ちまたのイラストを探しても、この2つが描かれていることが圧倒的に多い。




ちなみに、「いらすとや」だとこんな感じ。


真ん中のタマゴの黄身みたいなのが「核」だろう。そしてまわりに点在している小器官のうち、楕円形のものがミトコンドリアをイメージしていると思われる。



実際の細胞においては、核とミトコンドリアはサイズがだいぶ異なる。核は光学顕微鏡だとまるでイラストのように「あっ、この丸いのが核だな」と判断することができるが、ミトコンドリアは病理医が本気で探しても見えない、つまりイラストよりはるかに小さい。クリームパン的な形状のものは電子顕微鏡を使わないとわからない。世にあるイラストは(教科書に用いられるようなものも含めて)強調がかかっている。

ただし、病理医がまったくミトコンドリアの存在を見つけることができないわけではない。「なんとなくこの細胞、ミトコンドリアが多いな……」というのを、間接的に見出すことはできる。細胞の色を見ればいい。


ミトコンドリアが豊富に含まれた細胞は、H&E染色という病理医がいつも使う染色を用いると、細胞質(細胞のボディの部分)のピンク色が濃くなる。「濃い薄いかよww」と笑われそうだが本当だ。肝細胞の細胞質は「好酸性顆粒状」と言って、ピンクが濃くて細かくつぶつぶとしていて、これはミトコンドリアの量が多いことを反映している。


ミトコンドリアというのはその名前が超絶有名なわりに何をしているのかあまり知られていないようなのだけれど、細胞のエネルギーを生み出す工場とされている。ミトコンドリアが多いというのはエネルギッシュだと言う事だ。肝細胞はいっぱい仕事をする細胞なので、エネルギーをめちゃくちゃ食うのである。




ただ、ここで難しいのが、細胞質が濃いピンクになる条件はミトコンドリアの量だけではないということだ。細胞内に大量の「骨組み」があると濃いピンクになるし、細胞内に特殊な粘液が詰まっていてもピンク色が濃くなることはある。「濃いピンク」という形容だけでは病理医の認識には追いつかない。ここはもっと言語化できる。




たとえて言うならば……。


渋谷のスクランブル交差点を上から眺めてみたら今日は妙に肌色ばかりが見えたとする、さあ、あなたはここで何を想像する?


渋谷駅前でお坊さんのイベントをやっていて剃髪した方々がいっせいに交差点を渡ったのかもしれない。


都知事が新種の日傘を発表し、肌色の楕円形のものをみんなが頭に乗せていたのかもしれない。


広告代理店がイベントで大量の半裸のモデルを渋谷に解き放って日焼け止めのCMを撮っているのかもしれない。


このあたり、雑にいうと、ぜんぶ、「上から見たらやけに肌色が多かった」になるだろう。でも、実際に渋谷のスタバから交差点を眺めた人は、お坊さんの頭と日傘とモデルの肌とを見間違えることはないと思う。なぜかというとそこには、「肌色が多い」以外にも形容できるさまざまなファクターがきちんと存在しているからだ。


それと一緒で、病理医も、細胞を見たときに「あーなんかピンクが濃いねー」以外にもじつはいっぱいいっぱい他のファクターを観察している。「細胞質がぼてっと分厚い印象で、細胞の輪郭がガキッガキッとしていて、核が細胞質に対してあまり大きくなくて、周囲との結合性がしっかりしているからこれは『細胞骨格タンパクが多いタイプの濃いピンク』で扁平上皮方向への分化を表す所見だな……」みたいなことを、言語化するともなくしないともない、わりと幽玄の世界みたいなかんじで診断をしているものなのだ。見てるっちゃー見てる。見てないっちゃー見てない……。