2021年7月12日月曜日

暮らしやすさのビート

ぼくが自分の労働を自分でデザインできるようになったのは、年齢でいうと42歳のときである。つまりは去年のことだ。


科の主任部長になって権限が増えた。権限と言っても、スタッフに命令して何かをさせるとか、職場の決まり事を上意下達できるとかいうものではなく、「自分の裁量で仕事ができる権利」であるが、これを手に入れてとても楽になった。


思い通りに働ける。思う通りに動ける。タイムロスが少なくエネルギーロスも少ない。だから仕事が充実するし分量もこなせる。


主任部長という立場によって得られたものも多いが、そもそもぼくに経験と技能が備わったこともおそらく大切である。10年前は、診断の際に必ずおびえがあった。「全く知らない、歯が立たない病気に出会ったらどうすればいいのだろうか」と毎日不安だったし、そういうときにできることはボスや他施設のエライ人にプレパラートを持っていって聞くしかなかった。今もやっていることは大差ないが、どんなに難しい診断と遭遇しても、どうすれば解決できるのかのロードマップはだいたい描ける。この困難は何日で乗り越えられるというのがまあ一応は見える。


臨床医相手になんの気兼ねもなく電話していろいろ話が聞けるようになったのも、でかい。ぺーぺーのときは「お忙しいところすみません」の言葉に対して相手が露骨に「忙しい、迷惑だ」という雰囲気を隠さなかった。今は病院のシステムを把握したので、どの臨床医がどの時間に外来を担当しているか、どの時間は患者と面談しがちか、いつならわりと話を聞いてくれるか、みたいなことをわかって電話をかけることができるので、先方の反応がぜんぜん違う。あるいは、ぼくが不必要な内容では電話なんかしないことをどの科の臨床医もわかってくれている。



少なくとも仕事において、自分の思うデザインと周りが要求してくるデザインとが食い違うとほんとうに働きづらかった。25~28歳のころ、基礎研究をやっていて、ぼくはけっこう早い時期に自分は研究者には向いていないと実感させられた。根本的な頭脳のスペックが足りなかったのだが、それに加えて、あの頃はとにかく「自分の仕事を自分でデザインできないこと」に対するフラストレーションが強すぎた。優れた研究者はみな、多かれ少なかれ、「この作業で自分はこのようにしたい、なりたい」というビジョンを持っている。でもぼくは基礎研究の中で自分がどう立ち回ってどこにどう移動して行くのかをデザインできる気がしなかった。極論すれば、頭が悪くてもゆっくり勉強すればいずれ頭は良くなる。しかし、頭のよしあしとは別に、自分の動きをデザインできない場所ではどうやっても満足することはできないのだった。



いずれ公開されるPodcastの中で、ハウスワーカーの話が出てくる。そこではシュフが自分の行動をいかにデザインしているか、そのデザインを邪魔されることがどれだけ不快であるかを語る人がいた。ぼくはその話を聞いて深く納得した。じっさい、今の結婚生活でぼくはパートナーのデザインに乗っかってそこを邪魔しないことをかなり大切にしているのだけれど、20代のぼくにはそういう概念がなかった。行動をデザインするということがいかにその人にとっての根本的な欲求に繋がっていくのか、ということをわかったのはつい最近のことである。



TwitterやFacebookを見ていると、同じ医者、同じ病理医であっても、自分の今の仕事に不満しか感じていない人というのがたまに見つかる。そういう人が何にブツブツ文句を言っているかというと、結局のところ、自分の思い通りにならない部分にフラストレーションを感じているのだけれど、ここをなるべく丁寧に素描していくと、結局、自分の手の届く範囲がどこからどこまでかがうまく見えていない人が、周りの人の行動デザインと自分の行動デザインとのずれにツラミを感じているという、いわゆる「デザインのバッティング」が起こっているように思う。過去にぼくが「研究者には向いていなかった」みたいに感じたように、「私は医者に向いていない」とか「私は病理医に向いていない」という弱気な発言がなぜ出てくるのかもだんだんわかってきた。確かにデザインのミスマッチというのは向き不向きのひとつの側面なのかもしれない。ただし、中には、「自分はどういうデザインをしたくて、どういう他人のデザインだったら乗っかれるのか」を考えきっていない人も多いようで、まずは自分が快感に思えるデザインとは何なのかを自問自答してみてはどうなのだろうか。以上雑感である。