2022年12月6日火曜日

病理の話(723) 病理診断が与えるものは因果関係の証明ではなく仮説形成のための素材である

患者が病気に苦しんでいるときに、細胞を顕微鏡で観察して、そこに「原因」を探し出すのが病理診断の役目のひとつだ。

ただし、その「原因」がたしかに「原因」であるとさいしょに決めるのは、じつは病理診断ではない。

何かの病気の「原因」を決めるのは、病理診断も含めた広大な医学全体である。

ロケットを組み立てるのには、ものすごくたくさんの職種の人びとが関わる必要があるだろう。素材、エンジン、軌道計算、お金を集めてくる人、どれか一種類の仕事だけでロケットが完成することは絶対にない。それと似ている。病理診断だけで、「ある物体A」が「ある病気B」の原因であると言うような、ロケットにも似た「美しい証明」を達成することは残念ながらできない。

病理診断もまた医学という統合作業のいち担当部門でしかない。画像診断、血液診断などといっしょに病理診断が素材を提供し、それらが統計学者・疫学者たちの力を借りて「因果関係」にまで組み上げられていくまでには、けっこうな時間と手間がかかっている。

ひとたび、幅広い医学のトータルパワーによって「ある物体A」が「ある病気B」の原因だと言えたなら、その先、患者からある物体Aを見つけ出すにあたって病理診断がとても役に立つ。

ちょっと小難しいことを言っていてわかりにくいかもしれないけれど、「すでに原因とわかっているものをプレパラートの中から見つけ出す」のは病理医の得意技だ。ただし、何か新しいものを見つけて「あっこれが病気の原因だ!」と言い切ることは、病理医の仕事の範疇を超える。





ピロリ菌が胃炎の原因のひとつであるとわかったのは1984年ころのことだ。ぼくが6歳のときである。それが一般の人びとに知られるようになるにはさらに時間がかかった。おそらく、ぼくが19歳(大学生)になるころにも、まだ世の中には、

「ストレスがひどいと胃炎になる」

という話が広く語られていた。

それが完全に間違っていたわけではない。たしかに、いわゆるストレスも、胃炎を悪化させる「原因のひとつ」としては見逃せない。しかし、ストレス「だけ」で胃炎になることはかなり限られたケースだ。交通事故で全身の臓器をはげしく損傷するときのような、それってストレスっていうかもはや人体のクライシスだよね、くらいの状況だと、確かにピロリ菌なしでも胃炎が起こりうる。しかし、日常生活でどれだけ「胃が痛くなるような」暮らしをしていたとしても、実際にそれで胃炎が発症しているケースはめったにない。胃炎になるにはもっと具体的な「原因」が必要なのである。

(※ちょっと複雑なはなしをすると、胃炎ではないが胃のあたりが痛むということはある。ストレスで胃腸の動きが悪くなることは、胃炎とはまた違ったメカニズムで起こりうるのだ。これが世間一般に「胃炎」と称されることはあるのでややこしい。)

1984年にオーストラリアのウォーレン(病理医)とマーシャル(その部下)によって、胃の中にピロリ菌という菌が見出されたときも、「あっ菌がいる! だったらこの菌によって胃炎が起こるはずだ!」とすぐに証明できたわけではない。

ウォーレンはなんとなくピロリ菌が胃炎の原因ではないかと「疑って」はいた。しかし、そこに菌がいるから胃炎の原因に違いないというのは、とても乱暴な考え方である。

地震が起こったときにその地域でたまたま大相撲の巡業が行われていたとして、「あっお相撲さんが四股を踏んだから地震が起きたんだ!」とニコニコ言えるのは小学生までだろう。「たまたまいただけ」の可能性を考えないなんてありえない。

あるいは、火事が起こったとして、それを見物している人が必ず放火犯だろうか。放火犯は現場に戻る、みたいな、昭和のドラマの定型文みたいな考え方だけで捜査が終わったら警察はすごく楽だ。でも実際には、火事のような「派手な事件」が起こると、かならず見物人はあらわれる。「まず火事が起こって、それが目立つから周りに人がよってくる」という可能性を考えないなんて雑だと思う。

因果関係の証明というのは、「いるかいないか」だけでは語れない。

顕微鏡でそこに「あるかないか」を見るだけで、因果関係まで解き明かすことは絶対にできない。

(※どうもこれをわからないで、あるいは意図的に無視して、病理医が見たものは病気の原因そのものだとか、病理解剖をすれば病気の原因がわかるなどと安易に言いたがる人がいるのが最近気になっている。)

大事なのは「何かを見出してから、それをどのように考えて、いかなる仮説を立てて、その仮説をどのような科学的手法で証明していくか」という一連のプロセスなのである。




ウォーレンもまた病理医であった。彼は、ピロリ菌が胃炎の原因であることを突き止めるにあたって、「病理診断」以外の方法を丹念に用いている。病理診断以外の方法とは、基礎研究の手法や統計学の手法だ。

有名な話だが、ウォーレンの部下であるマーシャル(彼はまだ病理医ではなく、今で言うところの研修医や研究医のような若手だった)は、ウォーレンから託された「ピロリ菌の培養」という基礎研究手法に失敗し続けた。ピロリ菌は培養に時間がかかる菌であり、培養条件も他の菌とはいろいろ違うということが当時知られていなかったためだ。あるときマーシャルは培養をほっぽらかしてしっかりと休暇をとった(大事なことである)。休暇中、人に培養を頼むことなくシャーレを放置しておいたら(きっとそれまで何度も失敗してだんだん面倒になっていたのだろう)、休暇明けに捨てようと思ったシャーレの中にピロリ菌がわっさり増えていて、やったマジかよ、ピロリ菌増やせたじゃん! と喜んでそこから次の実験に入ることができた。若干のサイコパスみを感じるエピソードである。

そしてマーシャルはたぶんサイコパスなだけではなくちょっとアホだったのではなかろうか。次に、そのピロリ菌を自ら飲み込んで自分に胃炎を起こした。マーシャルの胃の組織を(おそらくウォーレンが)顕微鏡で見て、ああ胃炎になってるね、そしてピロリ菌もいるねえと判断して、「ほら! だからピロリ菌が胃炎の原因なんだよ!」と証明した……という有名なエピソードがある。やはりサイコパスである。

けれど、実際の彼らはもっと複雑なことをやっている。菌を飲んで病気の原因です、なんていかにもドラマチックだけど、それで因果が証明できるほど医学はぬるくない。

マーシャルがピロリ菌を飲み込んで胃炎が出たからと言って、即座にピロリ菌が胃炎の原因であると「確定」するなんて、とんでもないことだ。お相撲さんや火事の野次馬のことを思い出してほしい。マーシャルのエピソードは超有名で、たいていの医学生も知っているのだけれど、冷静に考えて欲しい、旅行に行ってシャーレを放置したりピロリ菌を自ら飲み込んだりするサイコパスが、ピロリ菌以外にもわけのわからないものを日常的に飲み食いしたり、生活様式が通常の人と比べてあきらかに破綻していたりする可能性だってある。彼はピロリ菌を飲んだ同じ日に、もしかしたら砂鉄を飲み込んで体の外から磁石をあてて遊んでいたかもしれないし、ホワイトスネイクを飲み込んで大道芸に精を出していたかもしれない。もっと言えば、マーシャルでは胃炎が起こったけれど、ウォーレンが同じ事をしても胃炎にならない可能性だって(その時点では)あった。

「たった1例」を見て因果関係をどうこう言うなんてそもそもナンセンスなのだ。何十例、何百例という検討をくり返して、「ピロリ菌がいると、いないときに比べて、たしかに胃炎になりやすいねえ」的な比較作業をいくつも行ってはじめて、ウォーレンとマーシャルは確かにピロリ菌が胃炎の「原因」であると納得し、世界もそれを認めた。



ひとたびピロリ菌が胃炎の「原因」だと明らかになってからは、病理医の仕事はむしろ増える。原因だと確定してそれで終わりではないからだ。毎日顕微鏡を見て、さまざまな患者の胃の検体の中にピロリ菌という「病原体」がいるかいないかを、延々とチェックし続ける作業が加わったからだ。わかっているものを探し出すことこそ病理医の得意分野である。「ウォーリーを探せ!」にも似ている。「ウォーリー」がわかっているからこそ探せるのだ。あの絵本を読んで「ある人を探してください、名前はウォーリーですが姿形はまだわかっていません。誰がウォーリーかも自分で考えてください」と言われたら子ども達はみんな発狂しただろう。ある意味、ウォーレンはまだしもマーシャルはとっくに発狂していたのかもしれない。そして発狂するくらいのことをやってはじめて医療における因果関係が明らかになってくる。ひとりひとりの患者から採取した細胞を顕微鏡で見ただけで「あっ因果関係が見えた!」などと言い出す病理医は基本的にヤブ医者である。そういうことじゃないのだ。そういうものではないのだ。