2022年12月14日水曜日

病理の話(726) 細胞診も勉強したほうがいいと思うよ

病理医が顕微鏡を覗いて観察するプレパラートは、「薄切」という技法を用いて作られている。検体を約4マイクロメートルという非常にうすい、向こうが透けて見えるくらいうすーい切片(せっぺん)にしてから染色液で色を付けて、向こうから光で照らしてステンドグラスみたいに観察することで、細胞の断面をめちゃくちゃ丁寧に見ることができるわけだ。

しかし、これが万能かというと……9999能くらいはあるのだけれど、ちょっとだけ弱点もある。弱点というか特性に近いかな。

たとえば、細胞を断面で見ているということは「厚み」を見ることが少しだけ苦手だということを意味する。

あと、若い病理医はもしかしたら意識すらしていないかもしれないのだけれど、じつは「薄切」という手法で観察すると細胞の「表面のざらつき」、「肌感」、「手触り」、「テクスチャ」みたいなものがちょっとだけわかりにくくなる。野球ボールとテニスボールって似てるけど表面の布感が少し違うでしょう。あれ、輪切りにすると、毛羽立ちの差として認識できるんだけど、人間の目って別に野球ボールとテニスボールをわざわざ輪切りにしなくても、それらの手触りが違うことをきちんと見抜きますよね。そのような「テクスチャを見通す人間の目と脳のすごさ」が、薄切によって細胞を観察するときにはあまり使われないのだ。


したがって、我々病理医は、ときに、細胞を薄く切るいつもの方法だけではなく、「そのままコロッとガラスの上に転がして観察する」という手法を用いることがある。これを細胞診(さいぼうしん)という。

「薄切」を使って細胞を観察するほうは「組織診(そしきしん)」だ。

似ているけれど微妙に違う。

基本的にあらゆる病理医は、組織診(そしきしん)が得意である。これに加えて、細胞診(さいぼうしん)ができるかどうかは、その人がきちんと細胞診(さいぼうしん)の資格を別に取得しているかにかかっている。

なお、ガラスの上に細胞コロコロの細胞診(さいぼうしん)は、医者だけでなく、臨床検査技師と呼ばれる資格を持つ人たちが得意としている。ぼくの職場にも細胞診(さいぼうしん)の資格を持った技師が複数勤務しているが、みんなぼくよりもコロコロ細胞を見るのは得意である。ぼくもいちおう有資格者なのだが、「薄切」したものを見るほうがやはり得意で、コロコロのほうは技師さんが得意。つまり、お互いがお互いをカヴァーしあう関係になっているということだ。



近頃の若い病理医の中には、薄切をせずにガラス上に直接細胞をころがす細胞診(さいぼうしん)の資格をとらない人もいると聞く。どうせ技師さんのほうが見られるんだから、わざわざ苦労して医者が資格を取らなくてもいいじゃない、ということか。あるいは、ゲノム医療とか基礎研究とか病理AI開発とか、ほかにもやりたいことが山ほどある昨今、技師さんでもできる細胞診にまで愛情は注げないということなのかもしれない。

でもぼくから言わせるとそれはもったいないことだ。いろいろな手段を用いて細胞をトータルで評価できるのがこの仕事の持つ大きな可能性なのにな。細胞診(さいぼうしん)のような違う技術も駆使すると、付き合う仕事相手の種類が増えるというのも見逃せない。なるべく多くの職種の人とコミュニケーションすることで、病理医としての懐の深さも変わってくる。細胞診おすすめだよ。わりとマジで。