2022年12月8日木曜日

病理の話(724) ベテランドクターに話すように学生に話す

病理医をやっていると、とにかく、他科の医師と話す機会が多くなる。ふつうの医者は患者と話すが、ぼくら病理医は患者と会話をしないぶん、ドクターをはじめとする医療従事者とコミュニケーションをとる。

このコミュニケーションを、文章だけで終わらせることも可能だ。いまいち対人的なやりとりがしっくりこないタイプの人は、病理医になってしっかり文章を書けばいい。会話しなくても、文章だけでやりとりができるのが病理診断のよいところではある。患者だとそういうのはいやがるだろう。手紙だけで診断されるなんてとんでもない! でも医療従事者なら大丈夫だ。丹念に書けばいい。それがしっかりと仕事になる。すばらしいことだと思う。

……と書いておいてなんだが、ぼくはどちらかというと、話すほうの病理医だ。「ちょっとした疑問に秒で答えてほしい」という要求が、病院の中ではそこそこ発生する。別にそのようなお悩み相談室的な役割を病理医がすべて担う必要はないのだけれど、ぼくはなんとなく、よろず相談所的なものを病理検査室に掲げていたいタイプの病理医で、そういうときに手軽に電話してもらえる病理医でありたいと願っている。



ただし……日頃からいっぱい話しているというのと、話すのが上手であるということは、イコールではない。

40代も半ばになろうとしているけれど、ぼくのしゃべりはいつも飛躍が大きいし、親しい人からは「また言ってる」みたいなことを言われがちだし、友人の犬からはしゃべる方のコミュ障などと命名されて久しい。少なくともしゃべりの達人ではない。エンターテインメント的な話はあまり上手ではないけれど、でも、病理診断をめぐるお仕事トークならば、経験も手伝って、それなりのレベルに達しているはずである。

今日はそんなぼくから、医療現場で医療者としゃべるときのコツをひとつ、書いておく。




学生にタメ口で始動をするな。

研修医にタメ口で何かを指示するな。

直属の部下にタメ口で感情をぶつけるな。




ひとつと言いながら三行書いたけれどつまりは「タメ口」、これが病院の中では基本的に必要のない文化だということを言いたい。

ぼくがタメ口を使って仕事のコミュニケーションがうまくいくと思っている相手は唯一、「同級生」である。多少の年齢差はあっても同級生なみに仲が良いケースではタメ口でもかなり学術のトークを深めることができる。

でも、それ以外のケースで、相手が目上の場合はもちろん、あきらかに目下であったときも、タメ口を使った瞬間に、相手の脳から「ちょっとでもわかってやろう」という気合いが5%くらいスーッと漏れ出て消えてしまうのが見える。

タメ口は高次のコミュニケーションを阻害する(医療者同士の間では)。ぼくはそう思っている。



でも理由があまりわかっていない。なんでだろうなーこれ。相手がムカッとするからなのかな。タメ口っぽいしゃべりをした瞬間から、一回り以上も年下の人間があきらかにこちらのしゃべりに対する集中力を欠く。

でもそれだけじゃない気がする。



日頃からタメ口を使わないように気を付けていると、なんとなく、「学生相手なのに、まるでベテランドクターに話すかのように丁寧な口調」になる。これ、たぶん、ポジティブな追加効果をもたらしている気がする。口調を丁寧にしようと思うとき、脳になんらかの動力を外付けして、常に緊張のエンジンを回す感じになる。ぼくの場合は。すると、なぜだろうか、口調だけじゃなくて思考も一段丁寧になる。不思議なことに。丁寧に丁寧に話そうと思うと、それまでこうやって教えようと考えていたことが、あるとき、「さらに上手に」説明できることに気づいたりする。なんなんだ? 脳に適切な負荷をかけておいたほうが調子がよくなるってことなのかなあ。



言語化しきれないけど今日はこれくらいにしておく。ぼくはタメ口じゃないほうが技術的にいいことがあるということを言いたかったのです。