今日は、それなりの頻度で相談を受ける内容について。相手は臨床医のこともあるし、病理医のこともある。
「この病理診断、あってますか?」
「あなたの病理診断もこれといっしょですか?」
がんか、がんでないか。
炎症か、腫瘍か。
判断が変われば治療も変わる。だから病理診断をきちんと決めるのは重要なのだ。
ただし、病理診断というのは最終的には人の判断である。誰がどう見てもがん、というような、議論の必要がないほどわかりやすい診断もあるが、一定の頻度で、「見る人によって判断が変わる病変」というのが存在する。
病理医ごとに診断が変わってしまえば、患者にとってはたまらない。主治医だって困る。
だから、主治医は……あるいは、病理医も、たまに、「ほかの病理医がそれをどう見るか」を気にする。
そんなわけで、相談される。細部は書けないがざっくり言うと、「がんなのか否か」、「どのようなタイプのがんなのか」が多く、「どのようなタイプの炎症なのか」というマニアックな質問のこともある。
たいていは、最初に診断した病理医とぼくの意見は一致する。しかし、まれに、ぼくの意見が最初の病理医の意見と食い違うことがある。ああ、病理診断の限界。主観的な判断のきびしさ。
ただし。(※ここで「ただし」が入るのはとても大事なことだ。)
よくよく展開を確認すると、じつは以下のようなことになっている。
臨床医「先生、これ、診断はがんですか? がんじゃないものですか?」
ぼく「難しいですが、これ、がんですね。○○タイプのがんです」
臨床医「そんな……うちの病理医はがんじゃないと言ったのに」
ぼく「具体的には、なんと言ったんでしょうか?」
臨床医「がんではなく、腺腫(せんしゅ)だと言ってました。」
ぼく「どれどれ……なるほど。この文献をお渡ししましょう。じつは、○○タイプの腺腫と、△△タイプのがんは、とるべき対応がいっしょなんですよ」
臨床医「えっ?」
ぼく「どちらも、□□という手術でこの範囲を取り切る。がんであっても、腺腫であってもそれがいいとされています。」
臨床医「じゃあ、そこは診断がぶれてもいいということですか?」
ぼく「ぶれてもいい、とまでは言えませんが……。そうですね、『○○タイプの腺腫 or △△タイプのがんのどっちか』までたどり着いていれば上出来なのです」
臨床医「えー」
ぼく「例え話で恐縮ですが……今からあなたが旅行に行くとして、行き先が、ニューヨークなのかパリなのか、デリーなのかメルボルンなのか上海なのか、そこが決まってない場合は、航空券のチケットが取れませんよね。でも、ミラノかフィレンツェに行きたい、と言う場合は、とりあえずどちらに行くにしてもイタリアに行けばいいじゃないですか。ミラノとフィレンツェは違う都市ですが、どちらもイタリアの中に含まれていますからね」
臨床医「急に話が飛んだのでわからなくなったんですが、要は、○○タイプの腺腫と、△△タイプのがんは、どちらも同じ国にある都市、みたいなものだということですか?」
ぼく「はい、そうです。これがたとえば●●タイプの腺腫だったら、別の国になりますので、取るべき手段が違いますからそこは見分けるべきです。でも、○○タイプの腺腫と△△タイプのがんなら、見分けても見分けなくても、実践上はあまり差がないのです」
病理医が悩む診断、たとえば「AかBかで迷う」ケースでは、世界中のひとびとがそれらを見分けるための手法をやっきになって開発している。やっぱりそういうの、見分けたいから。でも、別の視点から丁寧にしらべてみると、たまに、「AであってもBであっても同じ治療をする」というパターンがありうる。
患者からすると、その病気が「がん」かそうでないかは重大なように思える。しかし、大事なのは名前を付けることよりも、その「モノ」に対してどう対処すべきか、のほうだろう。「A or B」を決めきらずとも、「A or B」の状態でいったん宙ぶらりんにしてしまえばいい。もし、それらの治療方針に差がないならば。
ただ、こういうことを言うと、「ミラノとフィレンツェは遠いし、使う空港も違うと思う」みたいなことを言ってくる人が絶対いる。じつは医療でもそういうことがあって、まあ大枠ではイタリアなんだけど、それぞれをきちんと見分けたほうがより細かい対処ができて便利、みたいなこともあるのだ。病理診断は奥が深く、分類するからにはそれなりの理由がきちんとある。でも、実際の臨床現場では、難しい判断を難しいままに保留して、その上で対応を考えて行くという行動を頭に入れておくべきだ。いつまでも病理医の主観のぶれに付き合っていては診療が前に進んでいかないからである。そのことを(臨床医を通して)患者に伝えていくことも医療の役割であり、病理医の職務の一環である。