2022年12月23日金曜日

今年の漢字は痛

馬に乗っていると痛くなる部分というか、自転車に乗っていると痛くなる部分というか、とにかく、肛門の前方、睾丸の後方の皮膚がすれて痛い。もちろん原因は座り過ぎなのだが、冷静に考えると、おしりには肉があって、この部分が直接べっとりと椅子に押しつけられている時間はそんなにないはずなので、いくら長時間座っているからといってここが痛くなるというのは本来おかしい。だからたぶん他にも理由があるのだと思う。


男性にとっては何の穴も空いていない部分が痛いことに加えて、ここのところずっと、腰回りから膝にかけて調子が悪い。なんとなく、12月の頭に凍った階段で転んで背中を打ってから、下半身のリンパ流が悪くなってむくみがきているのではないかと疑っている。浮腫でつっぱっているから皮膚が痛くなる、というわけ。なぜ背中を打ってリンパ流が悪くなったのかはわからない。ドチャクソに軽い脊髄損傷でもしたのか。そうは思えないのだが。自律神経がびっくりしているのかもしれない。背中を打ったあと、無意識にいつもよりも筋肉をこわばらせているために、なんとなくあちこち滞留してしまっているということなのかもしれない。かもしれない、かもしれない、かもしれない。


あるいは腰を打ったこととはなんの関係もなく、ただ、加齢と偶然の為せる技としてこのあたりがなんとなく痛くなっているだけということも考えられる。何かの変化が起こったときに、なんでもかんでも派手なイベントに結びつけて因果を語りたくなるのは本能みたいなものだけれど、実際にはモノゴトはそうきっちりパッキリと矢印でつながってはいない。免疫染色でスパイク蛋白があったからこの病気はコロナワクチンのせいです、みたいな理論を見ているともう少し複雑系について思いを馳せてほしいと思う。運動会のテントが風で飛ばされたときに、校庭にいる子ども達がテントを飛ばした犯人だと言っているようなものだ。


先日、テレビを見ながら妻と、どちらが先ということもなしに、「こうしてどんどん少しずつ、体のあちこちが悪くなっていくよね」という話をした。できれば家族の前だろうが他人の前だろうが、自分の体が少しずつ悪くなっていくことを話題にはしたくないという気持ちはある。本当は楽しい事だけ話していたいとは思う。でも、天気の話と体調不良の話はいずれも話半分で流して聞けば十分コミュニケーションのタネになるのだから別にいいじゃないかという気持ちもある。いいことも悪いこともおざなりに共有して忘れて次に進んでいくということだ。変化を見つけて軽く騒いで終わりにする、くらいのバランスでよいと思う。因果がはっきりしない以上、明解なソリューションはないが、のらりくらりと微調整しているうちに痛みも苦しみもなんだか忘れてしまう、くらいのやり過ごし方でよいと思う。


深夜ラジオ「夜のまたたび」が終わってしまった。好きな番組だった。クロノトリガーのBGMを少しだけ思い出す冒頭のジングルが今も脳にこびりついている。先日、マガジンハウスから『深夜、生命線をそっと足す』というタイトルの本が出て、これが「夜のまたたび」の書籍版というものなのだが、痛みを抱えたまま、カタルシスもないまま、しかし念入りに人生を抱き留めていくさまが独特の時間感覚で語られていて本当におすすめである。本といえば先日、村上信五・マツコデラックスの出演する「月曜から夜ふかし」で、「2022年の個人的な今年の漢字」として村上信五が「本」と書いた。彼はそのフリップをカメラに向けながら「いや、今さらみたいでなんや恥ずかしい気もするんやけど」みたいなことを言い、マツコは表情を見事にフィックスさせながら「いいじゃないの 一文字できちんと意味までまとまっているのもいい」と小声ではきはき、真っ直ぐ村上を見ながらコメントをした。ぼくはその数十秒がとてもいい時間だなと感じた。誰もが上手に何かをやり過ごせるようになるといいと思う。それはぼくの、全身の痛みについてもだ。