2022年12月27日火曜日

もったいなさの裏

別府に行って紅茶を買いたい。

豆塚エリさんとトークイベントをするにあたり(この記事を書いているのはまだイベントの前だ)、豆塚さんが過去に取材された西日本新聞の記事をつらつら読んでいたら、ああそうだ、この店には行きたい、と強く思った。

(参考: https://www.nishinippon.co.jp/search/?utf8=%E2%9C%93&q%5Btitle_cont%5D=%E8%B1%86%E5%A1%9A&button= 有料会員じゃないと一部の記事はみられません)


豆塚さんという人の本を手に取ったきっかけは文学フリマ札幌であった。前にブログでも書いたかもしれないけれど、作家・浅生鴨さんがネコノス文庫として出店していたブースに顔を出したら、そこで鴨さんが唐突に「市原さんは豆塚さんに会ったらいいと思うんだよなあ。」と言ったのだ。誰ですかその豆塚さんというのは、ああそうか、今ちょうど目の前で鴨さんにサインを書いてもらっているこのおじさんがそうなのか、と納得しようとしたら、そのおじさんも「豆塚はそこにおりますからぜひ」と言うのだ。なんだこのおじさんは豆塚さんではないのか、と軽く脳をゆさぶられた。

しかし結局その日ぼくは豆塚さんには会わずじまいであった。文フリの豆塚さんブースを訪れたときには豆塚さんが席を外していて、かわりに先ほどのおじさんがいたのだ。「そこにおりますから」のタイミングですぐに顔を出していれば会えたのだが。そしてぼくはそのおじさんと話をして、豆塚さんの『しにたい気持ちが消えるまで』や詩集などを買い求め、帰宅してすぐ読んで猛烈に感動してしまったのであった。Twitterであの本はすごいぞと大騒ぎしていたら古賀史健さんも読んでnoteに感想を書いてくださっていて、「ほらな!(何が)」と思った。「ぼくだけが変な人間で変な刺さり方をしたというわけじゃないんだ!」みたいな感情である。それはまあいい。

そのおじさんというのが、くだんの西日本新聞に少しだけ触れられている喫茶店の店主、村谷さんであった。豆塚さんとのトークにそなえて西日本新聞の記事を片っ端から読んでいるときに見覚えのある顔を見つけて、そうそう、この人! と脳内で情報がピタリと一致して気持ちよかった。

たしか紅茶を出すお店だったと思う。紅茶の葉も買うことができるのではなかったか。

ああ、行ってみたいなあと思った。ぼくにしては珍しい心の動き方をしている。猛烈な旅行欲求が湧いてきたのだ。


しかしまあ、実際にぼくみたいなタイプの人間がこのきっかけで旅行をしたら、どういう結果になるかというのはなんとなく予想がつく。旅先の喫茶店。どんなに長居しようとしてもせいぜい1時間ちょっとで用が済んでしまう……と、感じてしまうのがぼくなのだ。たぶん動きやすいようにレンタカーを借りているだろうから、周りのどこかに足を伸ばしてもいいのだが、2,3観光地っぽいところを見ようといちおう考えはするのだけれど事前に下調べをするほどでもなく、あとはなんだかんだですぐに宿に入ってお風呂に入り、ああそうか、別府なんだから温泉自体が目的でいいよな、くらいの気持ちでむしろ堂々と早めにお風呂にはいりご飯を食べてさっさと寝てしまう。旅先で現地の居酒屋に行くのが楽しいんですよ、みたいな生き方をしている人がぼくのまわりにはけっこういるのだけれど、今さらぶっちゃけるとぼくは一度宿に入ってからそのあと出かけることをめちゃくちゃ面倒に感じてしまう。特に一人でいるときは。家族がそういうのを楽しみにしているならば面倒はふっとぶのだけれど、一人だったら絶対にやらない。出張先でもホテルについて荷物を置いたらまず再び出かけることはないのでチェックイン前に必ずコンビニでご飯を買っておく。翌朝も散歩するでもなく観光するでもなく、万が一空港にまにあわなかったら心配だから、という理由でさっさと空港に向かってしまうだろう、あまりに早く着きそうになって、いったん引き返して町の書店にでも行こうかな、みたいな感じでそわそわと所在なく右往左往したあげく、まあいいか、海でも見ていくかと、適当な港に車を入れて観光客向けではない海の風景をちょっと見てから体を震わせてやっぱり早めに空港に向かってしまうのだ。

かつて息子といっしょに全国縦断をしたとき、沖縄に数時間だけいたことがあった。札幌から羽田、沖縄、そしてその日のうちに福岡に移動して翌朝の早い時間の新幹線に乗ろうという計画だった。「日本縦断すること」が目的なので、沖縄の土を踏んだという事実があればほかの観光スポットみたいなところにはほぼ興味がないし行かなくても支障はないと思った。ぼくはどうもそういう「もったいない旅行」をするタイプの人間である(幸い息子もそれを悲しむような人間ではない)。しかし、修学旅行よりも新婚旅行よりも、たった数時間しかいなかった沖縄の、砂浜ですらない海に申し訳程度に訪れた時間のことばかりをずっと覚えているのだからもったいないというかむしろ本能がそっちを求めているのかもしれない。もったいなさの裏にじつはあまり人が気づかない価値が張り付いている……とまでは言えないし言わなくていいが……「もうちょっとうまくやれたはずだけどまあいいや」くらいの心持ちで旅をするのがぼくにとっての贅沢なのかもしれない。


別府に行って紅茶を買いたい。それができるくらいには世界もぼくも落ち着いてきたような気がする。