2020年10月5日月曜日

病理の話(460) 診断学における誠実さとは

本稿でいいたいことはシンプルである。病理医は誠実でなければいけない。診断は誠実でなければいけない。

そのために、具体的にはどうあるべきか。箇条書きにしておく。



・病理診断を書く際には「誰がいつ読んでも筋道が通っている文章」を目指す。時と場合によって読み方が変わってしまうような日本語を使ってはならない。


・自分の判断基準のうち、他人に言葉で説明できない部分はいわゆる「主観」と考える。「他人を言葉で説得できる」ならば、その説明には客観性がある。病理医はできるだけ客観的に診断をするべきである。ほかの医者が主観で判断する余地を残すためにも、病理医はできるだけ客観的でいるべきである。


・楕円が年を経て正円になることがないように。三角形が年を経て四角形になることがないように。「誰がいつ読んでもその通りだと言える部分」をきちんと押さえておく。これは形態診断のキホンであり日本語力を要する部分でもある。


・背景の知識を多数もっている病理医にしかわからないような文章はクソである。知識でけむにまかない。誰も得しない。


・「保身のために断定を避ける」のは絶対にやってはならない。「断定すると間違っていたときに訴えられるから」という理由で診断文の確度を下げるような病理医は医師免許を捨てるべきである。


・逆に、「科学的に断定できない」ならそのことをまっすぐ書くべきである。「病理医がわからないというならばその時点では絶対にわからないのだ」ということを懇切丁寧に解説できること。


・「これで十分です!」と言われてからさらにもうひとつ深められないかどうかをいつも考える。「勉強になりました!」と言いたくなったらさらにもうひとつ勉強できることを探す。


・揶揄をしない。意図を汲む。事情までを見通す。


・患者のために学問をする。自分のために休息をとる。同僚のために配慮をする。息子のために誠実でいる。