2020年10月21日水曜日

病理の話(466) 教えてもらわないとわからない

ベテランの小児科医が、大量の論文を持ってデスクにやってきた。人間は察する動物である。何も言われなくてもまずは論文の束を受け取って頭を下げる。


「ありがとうございます! 読みます!」


説明を受けながら、年代順に並べ替える。ぼくはある領域の論文をまとまった量読むとき、発行された時系列順に読むことが多い。まあ、時と場合によるけれど。


8本ほどあった論文を並べ替えている間、小児科医は次のように言った。


「この患者さん、この患者さん、あとこの患者さんの病理所見を、この論文に書いてあるポイントを見ながら、もういちど見直してほしいんです」


○年前、△年前、1○年前。むかしの患者さんたちの病理番号が次々とリストアップされている。


ぼくは答える。「わかりました! 勉強して見直します」


「どうもすみません、お忙しいところ……よろしくお願いします」





病理医は患者から採取された小さな組織を元に「診断」をする。このとき、細胞をどのような見方でチェックして結論を下すか? それは個々人の裁量による……わけではなく、多くの先行研究者たちが「たぶんこの項目を見ておくとよいよ」と調べてくれた意見を元に行う。主観バリバリで評価してはいけない。もっとも、完全な客観というものはこの世の中には存在しないのだが。


先達がすでに開発したチェック項目を見る。臓器ごとに異なる。病気ごとに異なる。膨大で、それぞれに細かく決まっている。「だから」、病理診断医という専門職が存在する。


さて、このチェック項目、時代とともに変わる。増えていく。

「これまではみんながあまり着目していなかった、細胞のこのような変化や、出現している細胞の種類、量などを、もうちょっと違う観点でみたほうがいいよ。」

このような論文が、今この瞬間にも出続けている。

科学というのは基本的に後退しない。あとになればなるほど診断が鋭く、かつ細かくなる傾向にある。


すなわち、細胞をみる病理医は、もちろん、全身のありとあらゆる臓器について、細胞の見方を時代とともにアップデートしていかなければいけない!


建前はそうなんだけどぶっちゃけそんなの無理だ。全身にどれだけ細胞があると思っているのだ。頭皮から目、鼻、耳、口、くちびる、口の中、舌、舌のうらにある唾液腺、歯茎、のどちんこ、扁桃、のどの粘膜、うー本当はこうやって全身のあらゆる臓器の話をしようと思ったけれど、まだ口の段階ですでに飽きてしまった。そもそも目だって鼻だってもっと細かく分けられるし……。


では病理医はどうするか? ある時点で自分が勉強した項目に満足して、そこからは時代がどう動こうが、自分の信じた診断方法で延々と細胞を見続けるのか?


平成15年の基準で病気を診断しても、99.9%くらいは病気の本質に迫れる。しかし、令和2年の基準で病気を診断することで、99.99%くらいまで確度が上がる。平成15年の知識でいつまでも診断していることは、0.09%分、患者の不利益になる……。


微々たるもんじゃん、と言ってはいけない。


ときには、平成15年の基準で行う診断が、40%くらいしか病気の本質をえぐっていないこともある。こういう難しい病気は、令和2年の基準を用いても、43%くらいまでしかパワーアップできていないものだ。しかし、この3%を積み重ねていくこと、解像度をいつまでも上げ続けていくことで、昨日は治らなかった患者に対して、明日もう少しましな治療ができるようになるかもしれない。


すなわち病理医はアップデートを怠ってはいけない。しかしこのアップデート、膨大である。ウィンドウズアップデートよりも項目が多い。じゃあどうしたらよいか?



一緒に仕事をしている臨床医たちに手伝ってもらう。もうこれしかない。自分の努力でがんばれる度合いには限界がある。ほんとうに専門的な、マニアックな、高度で難しい部分については、あらかじめ臨床医に


「何か進展があったらいつでも教えてください、その領域の最新の論文をぼくに教えてください」


と言っておく。これしかない!!


先ほど小児科医がもってきた論文はいずれも、病理学の論文ではない。小児科系の雑誌のうち、ある特定の病気の、さらに込み入った病態について述べられた、小児科医向けの論文ばかりだ。さすがにそういうところまでぼくは普段カバーしていない。


だからありがたい。これを小児科医がぼくに持ってきたということは、「この領域の最新の診療をするために、病理医はここまで知っておいたほうがいい」ということだからだ。






8本の論文を読んでいく。難しい。知らないことが書いてある。それを知るために別のものを読む。難しい。病理のこともちゃんと書いてある。ここは見覚えがある。聞いたことのないチェック項目がある。えっ、そんなとこまで見たほうがいいのか。いやまてよ。論文の著者たちも、あまり言い切っている雰囲気でもない……つまり、これは、「試しにやってみました」ということか。


一年に一度診断するかしないか、くらいの頻度のマニアックな診断について、100年分くらいのボリュームを一気に勉強する。少し目が変わった気もする。さあ、この目を用いて、もう一度、過去に診断した標本を見直そう。



……うーん……この論文、ほんとうなのかなあ……。あまりそうは見えないなあ……。


あっ、この所見は、大事かも知れない。本当だ! でもこれって意味がある所見なのかなあ……。





一週間後に小児科医と話す。おもしろい論文だった、実際に顕微鏡も見てみた、あまりそのまま受け取れるような内容ではないのだが、この項目とこの項目については引きつづき検討する価値があると思う、ただし過去の診断をひっくり返せるほど力のある論文ではないようにも思う……。


小児科医が頭を下げる。ぼくはそれより低く頭を下げて論文を持ってきてくれたことへのお礼を述べる。最後は土下座合戦になる。