2020年10月23日金曜日

病理の話(467) がん細胞を更正できるものなのか

がん細胞は、正常の細胞の性質をある程度兼ね備えたまま、その挙動がおかしくなっている。


たとえば白血病というがんは、「白血球」というだれもがもつ細胞の性質を持っているのだけれど、ちゃんと白血球としては働いてくれず、どこかしら異常になっていて、必要以上に増えたり(増殖異常)、本来の仕事をしなかったり(分化異常)、不死化していたりする。


で、このことを何度かブログに書いているうちに、ある感想をいただいた。


「それぞれの細胞の性質を持っているならガン細胞の記憶をなくして普通の細胞として更正してほしいみたいな気持ちになりました」


まったくそのとおりである。ぼくはよく、がん細胞をチンピラとかヤクザ、マフィアに例えるのだが、彼らを真人間に戻す方法は無いのだろうか?


この発想をおおまじめにすすめて、がん治療に活用できないだろうかと考えている研究者は実際に世界中にいる。ただ、あらゆるがんに「更正」が有効ではないようだ。というかそもそも多くのがんは「更正するには悪事をおかしすぎてしまっている」のである。映画の終盤、更正した悪人が結局死んでしまうシーンを思い出して涙する。レオン一度しか見てないのに覚えてるな。


がんが「悪事をおかしまくっている」というのはどういうことか。これをもうちょっと科学的に書くと、「がんの持っているDNAは異常だらけ」となる。よく、DNAの変異によってがんになる、という言葉があるのだけれど、がん細胞というのはDNAが1,2個変異したようなナマッチョロイものではない。


がん細胞には、少なくても20箇所、多ければ100箇所以上のDNA異常、すなわち「目に見えてやばいプログラムエラー」が存在する。ちいさなミスを入れれば限りない。


一度カンチョーをした小学生を不良とは呼ばないだろう、先生ときちんと話し合えば十分真人間に戻れる。しかし、リーゼントモヒカンにチェーンのついた財布と短ランボンタン、タバコ3本を同時に加えて両手にサバイバルナイフをぶらさげ、マリファナとコカインとハッピーターンを同時に吸引しながら書店で万引きをする高校生がいたらこいつはさすがに更正不可能ではないかと考える。もちろんこれが1名だけだったら児童相談所に連れて行くなり鑑別所に行くなりして一人の人間としての人生をもういちど考えてみようぜと説得するところだが、150万人いたらどうか? おそらくトランプ大統領ではなくても空爆を考えると思う。


そう、がん細胞というのは、異常を数多くもち、徒党を組んでいる。だから薬や放射線などをうまく用いて更正するというのが非常に難しいのである。


ただ研究者というのはあきらめがわるい。完全にマフィア化したがんについては、更正という手段はほとんどあきらめムードなのだけれども、「まだがんになる前の細胞」の、「悪事を起こす予兆」みたいなものだったらなんとか更正できないだろうか? と考えている人はいる。


それはたとえばDNAの異常そのものではなく、その異常を引き起こしがちな「DNAのメチル化」と呼ばれる、DNAの周辺にある異常を人為的に元に戻せないか、みたいな研究だ。まどろっこしいね。言ってみれば、高校生の男のコは多感な時期だけどまだまともなカッコウをしている、しかしその家ではしょっちゅうテレビでVシネマがかかっていて、毎日暴力・淫靡・R-150指定くらいのヤバヤバ動画が放送されている、となるとこれはいずれ高校生もぐれるかもしれないだろう。そういうときに、「テレビ消しましょうねー」と指導を入れる、みたいなイメージだ。


えっこれ難しいんじゃない? と思っていただきたい。その直感は重要である。なにせ、この高校生の周りの家にも多くの住人がいて、彼らもまたテレビを見るのだ。ただしみんなが見ているのはイッテQだったり復活した徳井だったり、あるいはテレビではなくYouTubeやネトフリであったりするのだけれど、町内放送で「お前ら全員テレビ消せ」とやるわけにはいかないだろう。そう、がん細胞の周りには通常の細胞がいるので、これらをまとめて調整しようとするとなかなか大変なのである。


ただそれでも、マフィア化したアホどもを真人間に戻すよりは可能性がある。このため今の日本では、「エピジェネティクス」とよばれる、DNAそのものの異常ではなくてその前段階、あるいは周辺にある情報の異常についての解析がとても進んでいるのである。