2021年10月8日金曜日

病理の話(584) 急いで電話する病理医

病理診断をする際に、主治医から届けられる「依頼書」(あるいは依頼箋(いらいせん))には、さまざまな情報が書いてある。


患者から採ってきた検体が「どこなのか」(場所)、そして、どんな病気を疑っているのか(性状)。この2つが書いてあることが多い。


書いてないと病理医は、病理診断に苦労する。


どんな検査にも言えることなのだが、拾い上げたジグソーパズルのピース1個だけを見て、全体像を予測するというのは至難の業である。病気のこまかい内容はわからないにせよ(わからないから「生検」をするのだ)、だいたいパズルのどのあたりから採ってきたのか(場所)、そして、これはそもそもどういうパズルなのか(世界遺産シリーズなのか、鬼滅なのか、ワンピースなのか、ディズニーなのか)、できればだいたい色味的に何を疑っているのか(モン・サン・ミッシェルの壁っぽいのか、炭治郎の隊服っぽいのか、ウソップの鼻っぽいのか、ラプンツェルの髪っぽいのか)を依頼書に書いておいてくれれば、それだけ質の高い病理診断ができる。


質の高い依頼書を毎回書いてくれる臨床医との関係は、どんどんよくなる。


すると、ときに、そのような主治医から届けられた標本の、H&E染色標本(最初にできあがってくるプレパラート)を一瞬見ただけで、


「あっ、この医者がこう言って採ってきた検体が『これ』だと、ヤバいぞ!」


とピンとくるようになる。患者の行方を左右する情報にあっという間に気づけるようになるのである。病理医が優秀だから? 違う、全然違う。「臨床医と病理医の関係が優秀だから」ならば合っている。





カチャ……パシ。クルクル。ピタ。(顕微鏡を見るときの音)


……(あっ)(気づいたぼく)


トゥルルルルル「はい、○○内科の」(電話に出る主治医)


「あっ先生、病理の市原です。○○歳○性、○○○○さん。この人思ったよりずっとhypercellularですよ。これはあれですよ」


「えっ、hypercellularなんですか。そうか、だからうまく□□なかったのか」


「ええ、ということは」


「はい、なるほど」


「明日ぜんぶ免疫染色が揃うんで、そのとき正式レポートしますが」


「おっ早い」


「たぶんA病だと思います、ふんわりその気分でいろいろ準備しておいたほうがいいと思います。確定は明日の午後で」


「わかりました、ありがとうございます(ピッ)」


(いいなあ臨床医かっこよくて……)(ピッ)




みたいなやりとりを、いつもできるようになる。




依頼書に「至急」と書いてあるとき(主治医が一刻も早く結果を欲しいとき)はもちろんだが、書いていなくても、「顕微鏡でこのような像が見えたら早く主治医に連絡したほうがその後いろいろ楽になる」ということが、ままある。


顕微鏡診断は、そこまで一刻一秒を争わなくても……と考える病理医もいる。しかし、これは個人的な考えであるけれども、医者というのは、「早く知っておくとその分、仮説を心の中で何度もひっくり返したりこねくり返したりする手間に時間を割く生き物」である。どうせ治療は翌日にならないとだめだから夕方の診断は急がなくていい、とか、患者は明後日やってくるから今日急いでもしょうがない、というものばかりでもない。理屈ではそうなのだが理念がそれでは収まらないのである。

「主治医の脳に早めに入れておく」ことで、脳内タスクがうまく整理され、医療全体の進行が快適になることが、実臨床の現場ではときに、ある。



もう誰が最初に言っていたのか忘れてしまったが、内科医にとっての聴診器やエコー、外科医にとっての電気メスやクーパーが、病理医にとっては顕微鏡と電話なのである。電話はとても大切。あと、足腰、ていうか体力。そして臨床医と勤務中に仲良くできること(終業後は別に仲良くしなくていいです)。