車を運転していたらひとつ前を走っている車がだいぶトンでいた。リアになんか羽根みたいなのがついている昔懐かしいスポーツタイプで、車高がめちゃくちゃ低いし、タイヤがそれぞれ外側に少し傾いていて後ろから見ると「ハの字」みたいになっている。どこからどこまでが許される改造なのかよく知らない。リアウインドウにはYAZAWA的なステッカーが貼ってあった(正確にはYAZAWAではなかったのだがこれで通じると思われるデザインであった)。道がさほど空いていないので、それなりの爆音を立てながらもあまりスピードが出せないようだ。
しばらく後ろからついていくと、ときどきフラフラと蛇行している。助手席の妻に「ああいう運転が好きなのかね」と言うと、妻はすかさず、
「あれはマンホールを避けてんの ほら段差があるとオナカを擦るでしょ」
と言った。なるほどそうなのか。確かにその目で見ると、蛇行した直後に車のタイヤの間からマンホールが出てくる。まったく気づかなかった。
あれだけパンクに改造した車に乗っていても、ボディを地面に擦るのは避けるんだな、と、よく考えたら当たり前のことをしみじみと考えてしまう。当たり前? そうだろうか? いや、ま、当たり前でいいと思うんだけれど、車の改造というものがどこか「遠回しな自傷行為」のように感じられていたぼくにとって(これはもちろん認知の歪みなのだけれども)、そういう車が好きならボディ擦るくらい平気だろう、別に走らなくなるわけじゃないし、と、瞬間的に混乱してしまった。
ファッションと行動が「合っている」「合っていない」という話は難しい。いかつそうな顔をしてコンビニで小銭募金をしている人を見るとぐらぐらと揺さぶられる。ギャップ萌えという言葉が世の中に浸透して以来、逆にこのあたりの「認知のニッチからしみ出す快感物質」をきちんと解説する動きが減ってしまったようにも思うが、何かを観察して心に浮かんだ第一印象、あるいは心象、もっと言えば「勝手なプロファイリング」のような行為がその後裏切られること自体になんらかの「してやられてたりの気持ちよさ」が含まれている。
改造車はその後左のウインカーを出して去っていったのだが、そのときちゃんと「キープレフト」したのもおもしろかった。曲がる瞬間に助手席に見えたのは若い男。家ではネコとか小鳥などを愛でているのかもしれないなとふと思った。