2021年10月18日月曜日

病理の話(587) やられた後に復活すると一回り大きくなる

医学部で「病理学」を習うとき、わりとさいしょのほうで、「創傷治癒」というのを習う。画数が多くていかにも専門用語っぽい言葉だ。

創傷の創は、一般には「創造」っぽいイメージがあるかと思うが、「銃創」のように穴の空いた傷口のことを指す。ひらく、という意味なのだろう。

自分が「昨日までの自分」で居続けるためには、体のどこかがやられたときに、それを修復する仕組みが必要である。生きていればさまざまなものから攻撃されるが、傷ができないように避けるか、傷が小さくなるように後ずさるか、あるいは、傷ができてもそれをすぐに治す、これらが達成できれば、人はわりと長生きできる。

さて、胃粘膜がちょろっと剥げたときのことを考えよう。穴が空いたままにしておくとそこから食べたものや胃酸などが胃の壁の中に入り込んできてしまう。だから生体は比較的すみやかに、周りの粘膜の新陳代謝機能を活発化させて、穴の上に橋を渡すように「粘膜の細胞」を穴のヘリから歩かせる。でも、穴が空いたままだと細胞は空中を歩くことになってしまう、ていうかそれは無理なのだが、人体とはよくできたもので、出血に伴って「かさぶた」的なものができて穴が少し埋まり、さらにはかさぶたの下に肉芽と呼ばれる「修復するための土のう」のようなものが盛り上がってくることで、穴がだんだん小さくなっていく。

そして、穴のヘリからえっちらおっちら歩いた細胞が手を繋いで、ふたたび粘膜が復活するのだけれど、このとき、復活した粘膜の細胞……というか、細胞が織りなす構造は、元の粘膜の構造よりも「少しだけ大きくなっている」ことがある。するとどうなるか?

胃で、昔穴が空いた場所に、今は穴ではなく、逆に、マッシュルーム的な隆起ができていることがあるのである。

この隆起のことを「再生隆起」という。おそらく、穴埋めを急いで細胞の新陳代謝を激しくした際に、作りすぎてしまうというか、「足りないよりは余るほうがマシ!」とばかりに、増殖がいつもより活発になりすぎて、かえって細胞の総量が多くなってしまうのだろう。

このことを病理学用語で「過形成」という。英語だとhyperplasia。-plasia というのはプラスチックと同じ語源で「形成」を意味する。hyperはハイパー、なんか増えてるわー乗り越えてるわーというイメージそのままの言葉だ。



では、逆に、胃の中に「小さなマッシュルームのような隆起」があれば必ず「穴の再生に伴う作りすぎ効果」なのかというと、そうとは限らない。

さきほど、「穴埋めのために、まわりで細胞が作られすぎてしまう」ことが過形成の原因だと書いた。しかし、細胞が一生懸命作られすぎる状況というのは、再生以外にもあり得る。

「べつに修復する必要はないのに細胞の新陳代謝が勝手に激しくなる状態」。

ここで思い付くのは、腫瘍(しゅよう)だ。かの有名な「がん」も腫瘍の一種である。ただし、子宮筋腫のような「がんではない腫瘍」もあることも忘れてはいけないが。

腫瘍というのは「異常な増え方」や「異常な機能」を持っている。穴を治す必要がないのに細胞が増えるというのは普通ではない。土木工事の必要がないのに勝手に土のうを積んだりコンクリートを流したりしている、あやしい事業のようなものだ。

となると、われわれとしては、胃の中に「マッシュルームのような隆起」や、「きのこのような隆起」や、「毛足の長い絨毯のようなふさふさ隆起」などができていたときに、それが「穴が空いてそれをふさぐために生じた過形成」なのか、「がんなどの腫瘍によるもの」なのかを、見極めなければいけない。どうやって見分ける?



大丈夫、プロの内視鏡医が見れば、ざっくり99%くらいは見分けられるものなのだ。えっ1%は間違えるの? 心配ない、その1%を訂正するのが病理医の仕事である。胃カメラの先からマジックハンドを出して、マッシュルームのはしっこをひとかけら摘まんで、細胞を病理医に届ける。病理医は顕微鏡でそれを見る、細胞の姿をていねいに観察して、そこにあるのが「再生・過形成」なのか、「腫瘍性の異常増殖」なのかを確定診断するのである。