2021年10月14日木曜日

病理の話(586) 病理医が足りないと思うわけ

いったん家に帰って妻子とあれこれ連絡を交わした後に、また出勤している。一時帰宅しているから勤務時間としてはたいしたことがないが、それなりにしんどい時間の使い方だ。


病理診断だけならこんなに時間はかからない。はっきり言うが、10年も病理医をやっていればうちの病院くらい症例が多くても普通に毎日8時半から17時まで働けばノルマは十分にこなせる。ぼくはもう医師18年目だ、プレパラート仕事だけなら余裕だ。

でも、病理医としての仕事は病理診断だけでは終わらない。少なくともぼくはそう思う。


臨床医から、「この珍しい病気はいったいどういうものなのか」と聞かれたら、夜を徹して資料を作ってその疑問に答えるのが病理医の仕事だ。もちろん臨床医だって調べるのだけれど、細胞に関する部分ならば病理医の方が圧倒的に知識があるので、そこは二人三脚、三人四脚、できれば十人十一脚くらいで調べたほうがいいに決まっている。

臨床医や診療放射線技師、検査技師が、学会や研究会で症例報告をしたいと相談してきたら、病理組織像の解説をパワポで作るし、参考文献をダウンロードして読み込んでおく。

他院に勤める医者から質問があれば答える。専門医としての意見が欲しいと言われれば正規の手続きに則ってコンサルテーションもする。AI病理診断の開発を手伝って論文も書くし、学生のための講義資料も作る。

これらのどこまでが「病院から給料をもらってやる仕事」なのかと言われると、いろいろと答えようはあると思うのだが、でもぼくが考えるに、「その病院で採取された細胞のことだけ見て診断していればいい」というのは病理医としてはあまり働けていない。「その病院に勤める医療者のためだけ考えて調査研究していればいい」というのもまだ狭いと思う。「自分が関わる可能性のあるあらゆる患者、あらゆる医療者の中で一番細胞に詳しく、臨床動態と病理組織像との関連に詳しく、遺伝子やタンパク質の異常にも詳しく、座学に強くて発表がうまいからとにかく知恵を借りたいときにはあの病院の病理医に連絡をとったらいいことがある」くらいの評判を積み上げてはじめて、「ある病院の病理医」としてカンバンを出すだけの資格が手に入ると思う。


ただまあ、その一方で、ぼくが元気に残業し続けている限り病理診断科は役に立つぜと言われるのもシャクだ。持続可能なシステムを作るのもまた仕事である。ぼく一人が残業なんかせずとも、脳だけできちんと人びとの役に立つ体勢を複数人でかわりばんこにこなせるようになればいい。チームでやれたらもっといい。


こういうことを全部考えると、日本病理学会の言う、「病理医は足りていません」という話が現実味を帯びてくる。ぶっちゃけた話、顕微鏡をのぞいてプレパラートを見て考えるだけならもう病理医は足りている(一部の地方は大変だろうが)。でも、主治医達の相談役として病院の中で存在感を発揮するにはまだまだ足りない。医者の総数は約33万人と言われる、これに対して病理専門医の人数はせいぜい2600人。病理医ひとりあたり、127人もの医者の相談に乗らなければいけないというのは普通にきついだろう。まして、相手は医者だけじゃないのだ、診療放射線技師だって臨床検査技師だって、看護師だって病理医にものを聞いてみたい。だったら今の10倍くらい病理医がいたって、ぜんぜんかまわない。


だから病理医はもっと増えていいと思う。とりあえず目標は3000人、かわいいものだけれど、10年前は病理専門医は2100人しかいなかったのだから、最近の病理学会はけっこううまいことリクルートしてるんだなーと思わなくもない。