顕微鏡を見て病変を……「悪い細胞」を探すときにはいろいろとコツがある。そのコツは、おそらくそう簡単には他人と共有できるものではないのだ、たとえて言うならば、「ウォーリーを探せ」がめちゃくちゃうまい人から探し方を教えてもらうことができるだろうか? 「それはなんか……カンだよね」という答えしか返ってこないことが多いだろう。でもそこを言語化するからこそ病理診断は学問になり得るのである。
たとえば、がん細胞はウォーリーと違って「ある程度いる場所に傾向がある」。このことを知ると、がんを探すときに便利である。こむずかしい専門用語で言うと、「胃癌の組織型が高分化型管状腺癌ではなく、低分化腺癌であれば、漿膜則を癌が”這っている”ことがあるからそこはちゃんと目で見て確認すべきである」とか、「大腸癌のリンパ管侵襲箇所は病変の辺縁部に多いからへりのところをしっかり見る」など。ウォーリーは屋根の上にいるかもしれないし電車の中に紛れているかもしれない、しかしがん細胞にはもう少し理屈があって、こちらも「がん細胞の気持ちになって」探しにいくとそれだけ発見のスピードは上がる。
今、書いていて思ったのだけれど、「がん細胞探し」はウォーリーを探せやジグソーパズルのようなセンス・カン・しらみつぶし系の仕事とは異なっている。やっていることはシャーロック・ホームズの推理に近い。犯人がどういう理由でどこを経由してどのように動いてどんな悪事を働いているのかを、現場で証拠をかき集めながら同時進行で推理する。エルキュール・ポワロのような安楽椅子探偵ではなく、あくまでホームズやコナン君のように「現場を歩き回って虫メガネであちこち拡大する必要がある」というのがポイントだ、ただしそのときやっているのは頭脳をフル回転させることがメインあって、「虫メガネで拡大して地道にぜんぶ見ていればいつかはヒントが出てくる」という類いのものではない。
昔、「さんまの名探偵」というファミコンソフトがあった。主人公は明石家さんま、コロされた犯人が桂文珍、ボートレースで横山やすしとバトルし、島田紳助をどつこうとすると「あいつはやくざだからどつきかえされる」と注意されるというじつにイカれたゲームだったが、このゲームでは画面の中をプレイヤーが調べることができた(「かにかにどこかに?」)。このとき、小学生だったぼくはどこを調べたらいいのかわからなかったので、画面のすべてをカニの形をしたカーソルでぜんぶ調べ回るという方法でなんとか話を先に進めようと悪戦苦闘した。病理医になって顕微鏡を見るようになったとき、最初はこの「かにかにどこかに?」の気分で、「画面」全体をすべて見ないとがんを見つけ出せないものだとばかり思っていた。しかし、達人病理医は違った。プレパラートを顕微鏡に置いて、拡大を上げる前に視野が高速で動いて、どこかでピタリと止まったらそこを思い切り拡大するとなんとその中に確かにがん細胞がある。い、今のはどうやったんですか、と本当に驚くばかりであったが、振り返ってみるとあれはおそらく「がんはこういう場所にいやすい」ということをわかった上で探しに行っていたのであろう。言語化して教えてくれればいいのだが、そのベテラン病理医はひとこと、「経験だね」と言った。間違ってはいないがそれでは若い病理医は増えないだろうと思ったものである。
ただまあ実際に、ぼくもある程度経験を積んだ今だからこそ言えることがある。ぼくはがん細胞を見つけるスピードも診断を書くスピードもめちゃくちゃに早くなった、しかし、じつは何年経っても「しらみつぶし」はやめていない。なぜなら、ウォーリーは一人かもしれないががん細胞は一人ではないからだ。「ここにはいるだろうな」という場所でがんを見つけても、その後、「まさかとは思うがここにもいないか?」という目で標本全体をきちんと調べ尽くさないと、病理医としての仕事を果たしたことにならない。発見して終わりではない、その他の場所にたしかにがんがないことも確認してはじめて病理診断である。だから結局しらみつぶしになるんだけど、これは、「わからずにやっているしらみつぶし」とは意味が違うので、正味の時間は素人に比べるとやっぱり少し早くなる。
はー、ここ言語化するのたいへんだった。でもまあ大枠は伝わりそうかな。