顕微鏡で細胞を見ていて、こいつのこと、もう少し詳しく知りたいなと思ったときに、病理医が用いることができる「武器」がひとつある。
免疫染色、という。
正確には「免疫組織化学」と言う。ある化学反応を利用した技術で、いわゆる色素を振りかけることで色をつける「染色」ではないので、免疫染色という呼び方はどうやら誤用らしいのだけれど、多くの人が単に免疫染色と呼んでいる。別にだれも困らないのでぼくも免疫染色と呼ぶことが多い。
これはどういう技術かというと……細胞が持っているさまざまな道具の中からひとつを選んで、それに色を付けることができる。
たとえば、細胞が「HER2」というタンパク質を持っている場合、HER2の免疫染色をすると、細胞の表面にあるHER2だけに色が付くので、顕微鏡をみると「あっ、こいつHER2持ってる!」とすぐわかる。しかも、「細胞膜の部分にある!」というように、そのタンパク質が具体的に細胞のどの部分にあるのかまでわかる。
これをやると何がよいのか? さまざまなメリットがあるのだが、たとえば、その細胞が「どこ出身か」がわかるのだ。
がんは転移する。どこかのリンパ節に存在するがんを見たとき、そいつがどの臓器からやってきたのかを見極めることは、治療のやりかたを考える上でとても大切だ。
がん細胞を見て、その顔付きだけで「出身地」がわかればいいのだけれど、なかなかそうもいかない。日本人の顔を見ただけで北陸出身か近畿出身かを見極めるのはまず無理だろう。そこで、免疫染色を使う。
たとえばTTF-1という名前のタンパクが、細胞の核にあれば、そいつは高確率で肺もしくは甲状腺からやってきたと推測できる。
GATA-3という名前のタンパクが、細胞の核にあれば、そいつは乳腺由来か、もしくは尿路(膀胱など)からやってきたのではないかと考える。
ほかにも、免疫染色によって、その細胞が「めちゃくちゃ増えまくるタイプか、そうでもないか」や、「より悪性度が高いか、そうでもないか」などを見極めることもできる。とても便利だ。
ただし免疫染色には弱点もある。基本的に、HER2とTTF-1とGATA-3を一緒に染めるような「同時に複数のものを染める」という検査にはあまり向かない。
これはたとえ話を使うとわかりやすいかもしれない。
渋谷の交差点を歩いている人をカメラで撮影し、その人たちがメガネをかけている場合には、顔の上に★マークをつけるシステムを考えよう。
無数の人が居る中で、メガネをかけていると顔に★がつくので、わかりやすい。
このシステムに、さらに、サンダルを履いていたら足下に★マークを付けるシステムを重ねよう。
画面が★だらけになるが、まだぎりぎり、判別は可能だろう。
そこで、さらにさらに、ネックレスをしている人の胸元に★マークを……。
こうやっていると、だんだん、画面が★だらけになっていくだろう。あるひとつの、ここぞという項目だけをハイライトするから役に立つのであって、なんでもかんでも強調するとかえって分かりづらくなってしまう。
参考書の難しい部分に蛍光ペンを引きすぎて、ほとんど全部の文章に線を引いてしまうと、マーキングの意味がなくなるのと似ている。
どこにどれだけ★を付けたら便利なのか……。どの文章に蛍光ペンでマークしたら勉強がはかどるのか……。
これをきちんと考えるのが重要だというのはおわかりだろう。病理医は、免疫染色という強力な武器を使う前に、どれをいつ、どのように使うかをきちんと考えなければいけないのである。