2022年1月17日月曜日

本能のレベル

「キズを見つけてふさごうとする本能」みたいなものがある。


「ふさごうとする」の部分ではなく、「キズを見つけて」の部分がより根源的に本能だ。


人間の脳は欠落を見つけるのが得意だと思う。


もっと言えば、ざっとまわりを見回して、何も「欠け」がない状況であったとしても、キズや穴のたぐいが見つかるまで探してしまう。


お正月明けのツイッターのタイムラ インで、「実家に帰ったら親が文句ばかり言っており、引いてしまった」のようなツイートを散見した。


親は人間である。人間なので、身の回りにある「欠け」を日々探している。すきあらば塞ごうとする。そして、塞げる穴ばかりではないのだ。だから結局は、「欠け」を指摘するに留まる。自分の周囲の欠けを指摘して不快をあらわすことを、一般的に「文句」と呼ぶ。


そして、子もまた人間である。「親が文句ばかり言っている」というキズを指摘してツイートしている。


いずれも塞げる欠落ではないのだ。しかし、それでも、本能だから、つい指 摘してしまう。





今の短い文章の中で、「タイムラ イン」と、「指 摘」の部分に、半角スペースをしのばせた。


注意深い人は気づいただろう。


そして、世の中の多くの人は、注意深いのだ。違和感に気づくところまでは脳が本能でやってくれることが多い。


ただしその欠落、気づいたところで、そうそう塞げるものではない。対処不可能な不安定さにも気づくくらいの「注意」を人間が備えているというのは、なんともおもしろいものだなあ、と感じる。