TwitterのSpaces機能を立ち上げたところである。タイトルは「ブログを書く音」にした。現在2021年1月21日(金)、朝の7時17分である。出勤後、いくつかメールの返事などをすませ、本日の予定を組み終えて手術検体の診断を1件終えたら少し時間が空いたので、今回の企画を思い付いた。
特に何もしゃべらず、無言で、ブログをいちから書き始めて書き終えるまでの間、キータッチの音をひたすら配信してみる。
似たようなことは、すでに多くの作家やマンガ家がやっている、という。先日Podcast「いんよう!」の中で触れた。その後、柞刈湯葉の有料noteだったと思うが、「執筆音配信のときには音がよく聞こえるように無駄にキータッチばかりしている」という記載を目にして、けっきょく何を配信しているのかわかったものではないなあと笑ってしまった。とりあえず今回ぼくの配信は、ほんとうにいちからブログを執筆してその音をただひたすら流している。今、視聴者数は……50人くらい。朝からおつかれさまです。
こういう「実験」をしょっちゅうやっている作家というと、まっさきに浅生鴨を思い付く。彼の実験は、絶妙に「聞いた人が眉をひそめる」塩梅で行われている。稚内で本を売るとか豪華革張りの本を受注生産するとか、そもそも、じぶんで出版社をやってしまうというのも実験ではあるだろう。あるいは遊びというか。
「どこまで本気なのかわからない」と他人に思われる・思わせるための行動。に、見える。
そういうのは少し距離を置いて見る。「わあ、すごいことやっていますねえ! 尊敬するなあ!」とすりよっていく感じではない。その実験、いったいどうなるんだろう、という科学者の気分をとても刺激されるのは事実だ。しかし、科学者は、他人の実験を目にする場合はもちろん、実験のシステムを自分で組み立てた場合も、実際に実験が行われるときには一歩離れて冷静に眺めなければいけない。感情を込めて「うまくいけ! がんばれ!」と念じてしまうとかえって失敗する、というか、実験に無駄な恣意が加わってしまう、肩入れしすぎてはだめなのだ、だから距離を置く。浅生鴨がやっている各種の実験も、「おもしろいなあ! どれどれ!」とにじりよると、実験そのものに影響を及ぼしてしまいそうで、ぼくはそれが怖い。だからなんか楽しそうなことをはじめたなあと思っても、近づき過ぎない程度に距離をとって、でも目を離さないようにしている。
そしていざこうして、自分でも「実験」のようなことをやってみて思うのは、自分が見世物になるときに刺激される神経を20%くらい、自分が未知の扉をこじあけるときに刺激される神経を20%くらい、自分がやけに冷たい気持ちになってひどく落ち着いて物事を俯瞰するときに刺激される神経を60%くらい刺激されるなあ、という体感の部分だ。「実験してみた」の渦中はこういう気持ちになるのだなあ、というのを心のホワイトボードに殴り書きしているところである。
「見られていると書けないタイプの文章」はおそらく存在する。Twitter Spacesだからキータッチの音を聴かれているだけなのだが、それでも、なぜか書きづらいフレーズみたいなものがあるようで、ぼくは普段よりも少し脳に圧を……選択圧をかけながら文章を考えていることがわかる。今、Twitter Spacesの配信をやめたら自由に書けるのかというと、たぶんそういうことでもなくて、「人の受け取り方を意識する部分の脳実質」が普段よりも少し強めに発火していることを、Twitter Spacesに作業音を垂れ流すことであらためて自覚しただけで、普段からおそらく、「誰かが読むこと」を意識してはいるのだろう。ろくに更新告知もしない程度のブログなのにな。
Twitter Spacesは最近、録音アーカイブが残せるようになった。せっかくなのでぼくも今回のアーカイブを録音しようかと思ったけれど、自分が打鍵した音をあとで聴き直すというのが超一級の狂気に思えてしまい、けっきょくアーカイブを残すのはやめた。そろそろTwitter Spacesを閉じて、この記事を公開する。