今日はしょっぱなから急加速するので、がんばって振り落とされてください。
病理診断報告書。あるいは、病理レポートと呼ばれるものの話。
(※なぜかreportのことをリポートとは言わずレポートと言う。ドイツ語の読み方だろうか?)
レポートに、けっこうえぐい文章が並んでいることがある。たとえばこうだ。
「核の偽重層化を伴った異型腺管の増生を認めるため、低異型度腺腫と診断します」
漢字だらけだ。説明も少ない。……まあ、しょうがない。
専門家が読むものだから、専門用語が使われるのはとうぜんのことだと、割り切ってもらうしかない部分もある。
しかし……。何枚もレポートを読んでいると、だんだん、ふしぎなことに気づく。
別の機会にこういうレポートが出てくるのだ。
「核の偽重層化を伴った異型腺管の増生を認めるため、高異型度腺腫と診断します」
さっきのと、どこが違うかお気づきだろうか?
じつは、「低」だったものが、「高」にかわっている。
低異型度腺腫と、高異型度腺腫。
低いと高いの違いがあるから、微妙に診断も違うのだろう、ということはみなさんもおわかりだろう。
これらの詳しい意味はともかく。
前半部の文章がまったく一緒なのに、後半の診断名(らしきもの)の内容が、わずかに変わっていることを、変だと思わないか?
こういうのを見ると、熱心な医学生あたりは、質問をしてくる。
「せんせい! あの! 意味はよくわからなかったんですが、この……前半部の『~~ため』っていうのは、診断の理由を説明しているんですよね?」
「そうだよ。」
「前半部分がまったく一緒なのに、後半部が違うってことは、根拠がきちんと書かれ足りていないのではないでしょうか?」
「そうだけどいいんだよ。」
「???」
この「???」というお気持ちは、医学生に限った話ではなくて、患者もよく表明する。「説明になってないんだが?」ということだ。
しかし、病理医からこのレポートを受け取って診療に活かす主治医は、意外と冷めた感じでこのように言うのだ。
「まあそこは病理医に任せる部分だし、仮にちゃんと説明されたところで、読んでもわからないんだから、書いてあっても書いてなくても、業務的には困らないんだからいいよ。」
こうして、主治医と病理医の間ではある種の信頼関係というか共犯関係みたいなものが生まれており、結果的に、「前半部の説明文はいつも同じで、後半の診断部分だけが微妙に異なる病理レポートがぞくぞくと再生産される」ということになる。
実際にこのような文章を平気で書き続ける病理医はいっぱいいる。というかぼくも書くことがある。
専門用語をあまり並べられてもわからないから、いいんだよ。病理医だけがわかっていればいいんだよ。
でも、最近のぼくは、やっぱこういうのって不誠実かなあ……と思うようになってきた。
たとえば、動物の専門家といっしょに動物園を歩いて説明を受ける際に、
「足が四本あってしっぽがあってガウって言うから、犬です。」
「足が四本あってしっぽがあってガウって言うから、オオカミです。」
「足が四本あってしっぽがあってガウって言うから、かぜをひいたキツネです。」
と説明されるとさすがにモヤらないか?
言ってることは、間違ってはいない。しかしもっと説明してほしいと思うのが人情だろう。
たしかに、犬とオオカミの形態学的な違いを、動物の専門家の用いる言葉でダーッと説明されても、一般の人は困るばかりなのだ。でも、「足が四本あってしっぽが生えていて」みたいな、見ればわかるよ、みたいなことを決まり文句のように書かれたところで、なんか、「何かを書かなければ言わないスペースがあるので書いておきました」みたいな、おざなりな、建前的な感覚を覚えないだろうか?
病理医の仕事のメインは、顕微鏡を見てレポートを書いて、文章で主治医とコミュニケーションすること……と思われている。ぼく自身は、文章だけではなく、電話、パワーポイントのスライド、会議・研究会・学会、はたまたSNSなど、あらゆるデバイス・インターフェースを通じて主治医とコミュニケーションする仕事だと思っているけれど、中でも文章の役割が大きいことは間違いない。
その文章の中で、「とりあえず診断の理由は書かないとおさまりが悪いから」みたいな理由で、「生地をオーブンで焼いたのでケーキです。」「生地をオーブンで焼いたのでピザです。」「生地をオーブンで焼いたのでナンです。」みたいに、そりゃ説明したことになんねえだろ、みたいなレポートをばんばん書いてしまうのは病理医としてはどうなんだろう、という気持ちがあるのだ。
そこで「別に現場の医者たちは、説明なんてどうでもよくて、ケーキかピザかナンかタコスかわかればいいんで。」みたいなことを言い出す人もいるのだけれど、いや、ま、そうかもしれないんだけど、それってコミュニケーションじゃなくない? という気持ちがあるのだ。まあなんかここは好き嫌いの話かもしれんが。