2022年11月24日木曜日

病理の話(719) 内視鏡は見えない超音波は見える病理のほうはどないなってまっか

研究会に出ています。今日のは消化管エコー研究会。朝から夕方まで延々と、途中に特別講演も挟みながら、「症例の検討」をする。


症例の検討。


臨床検査技師、放射線技師、あるいは医師が、毎日診療をする中で「この患者のこの画像は、なぜこんなことになっているのだろう?」と気になった症例を紹介していく。


発表者は演題に上がる。マイクを前にし、パソコンでパワーポイント(パワポ)を開く。研究会の会場には数十人が(距離をとりながら)出席しているが、その10倍くらいの人びとがZoomで、オンラインで、その人の発表を固唾を呑んで見守っている。


パワポをスクリーンに投影しながら発表者は言う。


「患者は○○歳○性。~~という症状で受診し、血液検査がこれこれで、超音波検査を施行しました。その際の画像がこちらです。」


画像が供覧(きょうらん)される。会場のひとりが代表して、その画像を自分なりに解析する。自分が検査者になった気分で。


「ここの部分に異常がある気がする……。」


座長と呼ばれる少し偉い人が司会をして、様子を見ながら、適宜、発表者や、会場で画像を解析した人(読影者)に質問をしていく。どこがおかしいと思ったのですか。なぜそう思ったのですか。


「こういう画像はあまり見ません。まれだと思います。」


「なぜこんなまれな画像が見られたのでしょうか?」


なぜも何も、そう見えたんだからそうなんだよ、と考えてしまう人は、これから研究会で感動するだけの余力を残しているということだ。

「なぜ」には必ず理由がある。

病気がまれな出方をするにあたっては理屈がある。




超音波だけではない。内視鏡画像も出てくる。CTも見る。会場のみんなが、Zoomで閲覧している数百人が、一緒になって考える。そして……


最後に「病理」が出てくる。手術でとってきた臓器や病気を、発表者が発表者なりに解説する。しかし、それだけで、「画像がふしぎだった理由」が解決できるとは限らない。なぜなら、「病理」もまた、細かく複雑な解析を必要とするからだ。


そこで病理医が登場する。今回の研究会には複数の病理医が参加していて、これまでの発表者や読影者、司会たちが考えて発してきた発言ひとつひとつに、「病理から見るとこう考えられる」という意見を述べていく。


そこで議論が白熱する。病理がしゃべったらそれが全部答えになるというほど簡単なものではない。病理からはこう見えた、というだけで、超音波や内視鏡のほうがより病態をリアルに現しているということもある。



立場が違えば見えてくるものが変わる。視座が変われば思い付くアイディアも変わる。人と人との交流が学術を深めていく。オンラインじゃなくてリアルで参加して横に座っている臨床家たちと手軽に議論したいなと思うこともあるし、リアルじゃなくてオンラインだから少しだらしなくストレッチとかしながら見られて便利だなと思うこともある。


まあなんかそんなことをやっている。平日の夜、あるいは週末、祝日など。時間は無限だが我々が使える時間は有限だ。限られた機会を楽しんでいく。