体重が微増してきている。朝昼晩の食事量のうち炭水化物の部分を少し減らし、歩く距離を少し増やした。筋トレをするほどの熱意はないがたまに腹筋くらいならやってもいいとは思う。しかし、なんというか、筋トレに対する愛着がないのでめんどうである。ランニングなら音楽が聴けるしルームランナーで走れば動画も見られるので、まあそういうのだったらやりたいなと思うけれど、今は残念ながら本当に時間がない。
「忙しいと太る」のからくりが、昔からよくわからなかった。毎週全国を飛び回っている上級医が、顔はげっそりさせながら、しかし腹には欲望をたぷんたぷんにたたえているのを見て、忙しいって言ってもどうせ出張先で飲み食いしまくってるんだろう、くらいに思っていた。おそらく実際に、忙しいふりだけして暴飲暴食してガンガン太っていくタイプの医者もいる。しかし本当はそれ以外の医者のほうが多いのだろうな、ということがわかってきた。実際に年を重ねた自分の体重が少しずつ増えている状況で、彼らの内実が少しわかるようになった。
太る理由は基礎代謝の減少と、日常の食事量に対する強い慣性である。
仕事で脳を働かせるために朝・昼としっかり食事をすると、基礎代謝が落ちている分、カロリー過多になって太る。
それでは代謝にあわせて摂取カロリーを減らせばよいかというと、これがわりと難しくて、脳が「今までの糖質量」になれているせいか、食事を単に減らすとてきめんに知的活動が鈍ってしまう。如実に差が出る。思考の粘り気が足りなくなる。若い頃も「食べてないから脳が鈍ったな~」はあったと思うのだが、中年の仕事というのは一瞬でも気を抜くとヒヤリハットであり、ちょっとでもぼーっとしてると部下がやらかし同僚がイキり他科が爆発して病院が滅ぶ。そういえば医局で若い医者が居眠りしているのをよく見るのにベテランの医者はいっこうにぼーっとしていないなーと言う事に気づく。かつては「どうせベテランは当直免除でよく寝てるから昼は眠くないんだろ」くらいにしか思っていなかったけれど、中年は「仕事中に寝たら死ぬ」ので一瞬たりとも気を抜けないということが今なら実感できる。昼に居眠りが可能な時代の仕事量なんて、今にして思えばたいしたことはなかった。「夜起きているだけでいっぱい働いたことにしてもらえた頃」がなつかしいとすら思える。自分が昼間に眠気をもよおしても「死に直結する人」が自分とつながった場所にいなかったからできたことなのだ。今、脳を鈍らせたら命にかかわる。自分の命だけではない。複数のドミノをいっぺんに倒すときの感覚で、数百人の命にかかわる。それが中年だ。それが中間管理職なのだ。刹那たりとも脳をにぶらせてはならない。したがって、脳に栄養を与えるべきだ。食べるしかない。こうして食べるいいわけをしているのである。
だったらせめて、栄養のことをまじめに考えて、脳に行く栄養を確保しつつ全身の代謝に応じた食事の献立を考えればいいのだ。しかし残念ながら、そこまで取り組むだけの時間と余力とセンスと経験がない。単純にお米の量を減らすくらいのことはできるが、「ポイントポイントで食材で工夫する」みたいなやり方には運用のための努力が必要で、そこまではなかなかできない。だって忙しいんだもの。
つまり、「忙しいと太る」は、「忙しいと自分の食事を年齢にあわせてアップデートしようという心配りが足りなくなり、基礎代謝の減少に食事の調整がおいつかないから太る」ということなのであった。今まで内心ばかにしていた上級医たちに謝りたい。小太りくらいのほうが愛されるよね(とってつけたコメント)。とはいえ、ぼくの場合は血圧が上昇してきているので、体重増加にはきちんと気を付けたほうがよいだろう。
あとは運動。
小学校から大学まで24年ほど剣道をやっていた。大学時代の6年間は、「剣道のために一般的な筋トレをすることのばかばかしさ」を感じていた。まあ高校生くらいまでは、知恵なき筋トレが通用するのだろうが、大学生ともなると理論と実践と筋力の関係は均衡してくるので、理論なき筋トレはかえって害である。相手の防御よりも自分の攻撃の方が早くなるために、かつ審判から見て説得力があるような派手な打突音をもたらすために、どこの筋肉とどこの筋肉をセットで、ユニットにして、どの向きの運動を用いて鍛えたら一番よいかをひたすら考えていた。単純に腕立て伏せやバーベルで高校時代からバッキバキに鍛えまくってきた人よりも強く美しい剣道をするためにどう鍛えたらよいかを幾人かのチームメンバーと共に練り上げ、結果、高校がスポーツ推薦だったタイプの剣道家たちと遜色なく勝ち負けできるくらいの「剣道用の筋力」を手にすることができた。その後、25歳で大学院に入って運動する機会はめっぽう減ったが、24年間かけて付けた剣道筋はなかなか衰えず、10年は立派にぼくを支えてくれたのだが逆に言うと10年で有効期限が切れた。30代半ばくらいから急速に頸椎症や腰痛などを発症することになる。それまで無理な体勢で長時間、顕微鏡を見たり解剖をしたり、パソコンで講演資料を作ったりとバリバリ働いていたのはひとえに剣道により体幹の筋肉がしっかりしていたからだ。筋肉の衰えと共に不具合が全軍で押し寄せてきた。ああ、「筋肉貯金」を使い切ったんだなあと思いながら、顕微鏡の接眼レンズの高さに合わせて机や椅子を細かく調整し、歩き方にも気を遣い、枕の高さまで変えて、数年かけて首や腰の痛みを克服して今なんとか働いている。このような「筋肉に対する紆余曲折」を振り返って思うと、自分は本当に脳のために筋肉と戦い続けてきたのだなあと嘆息するのだけれど、ならば今、微増してきた体重を減らすために運動をし、基礎代謝を増やすために筋肉を戻すかというと、なんというか、「剣道するわけでもないのにな」「仕事はもうできているわけだしな」と、過去の意地と現状維持バイアスとが加わって筋トレに対する愛着がいまいち湧いてこない。こうして筋トレをさぼる言い訳をしているのである。
言い訳をするのが中年の特徴だということも、ぶっちゃけ、わかっていた。でもまあ言い訳はするよ、だって今日もうねうね暮らしているのだから。