2022年11月16日水曜日

明晰夢なんて遊びですよ

夢の中で、ああそうだ、あのことを書こう……と考えていた記憶だけが残っている。もちろん具体的な内容は忘れてしまった。

あるいは、「何かを考えている夢」は確かに見たのだけれども、実際にぼくが見たものはあくまで、「何かを考えているときの自分の脳がぱちぱちする感覚」までであって、具体的な「何か」を見たわけではないようにも思う。

「何か」を考えているだけで喜ぶ報酬系みたいなものがちょっとだけある。

「今のぼくはなにやら無意識から意識を生成しているぞという体感」によって喜ぶ脳の場所がある。

その意識自体の内容とか質は問わず、「何か」を作り出しているということそのものに、微弱な快楽がある。



砂場で手を湿らせながら城のような山のような何かを延々と作っている最中は楽しい。さあそろそろ終わり、と思って立ち上がって全貌を眺めると、これは結局何だったのだろう、とわからなくなって、小さな足で蹴飛ばして、壊して、ガハハと笑ってブランコに駆けていくような感じ。

ほかにもいっぱい例えようがある。編み物とか。手工芸とか。

手が動いていることが気持ちいいのであってプロダクトの出来は別に問わない。

キータッチしていることが気持ちいいのであってブログ記事が伸びなくても別にかまわない。




夢を見ていたぼくは覚醒時とは異なる緊張、異なる弛緩のしかたをしていた。目が覚めれば夢の意識とは噛み合わず、理路に納得もできないが、「言いたかったことはわかる」気もする。ぼくは寝ながら、何かを考えている自分に喜んでいたのだと思う。その「何か」は具体性も必要性も欠いており、それでかまわなくて、いっそ「何か」なんてなくてもいいということをぼくの脳はよくわかっていて、だから、「何か」をぼんやりさせたままとにかく脳内のあちこちに落ちている断片をどのように連結したらどうスパークが飛ぶかというのを、手に水を付けながら拾い集めて固めて積み上げて眺めて壊して楽しんでいたのだと思う。