2022年11月17日木曜日

病理の話(717) ごく個人的な臨床研究との距離感と学会の使い方

ちかごろの医者は、ツイッターあたりで、自分より若い医者や学生が読むことを意図して、たとえばこういうことを言う。

「日常の診療の中で疑問に思うことがだいじ。この患者ではなぜこのようなことが起こっているのだろう? なぜこの病気はこのように観察されるのだろう? なぜ今回の治療はいつものように経過しないのだろう? その疑問を研究に結びつけていこう。毎日ちゃんと診療をしていれば、必ず研究のタネは見つかる!」


このへんで息継ぎをして、ツイートを送信して、いいねを集めて満足する。

大切なことを言っているようで、実はまだ何も言っていない。タネを見つけてそのあとどうするのだ?

ちなみにこれを読むほうの研修医も、微妙なムーブをしがちである。引用RTを用いて「がんばります」とか「大事」とか言ってアピールして、上級医との間で自己顕示欲を互いに高め合っておしまいにしてしまう。タネを見つけてそのあとどうするのだ?



研究のタネを見つけてそのあとどうするのだ、の話。

ただその前に。



【前提】

医師は「研究精神」を持った方がいい。あらゆる医療行為はパソコンといっしょでアップデートし続けなければいけない。ソフトウェアにしろOSにしろ、更新のためにはダウンロードしてインストールしなければいけないわけだが、これはたとえるならば「読み+書き」が必要だということである。

読むだけでよいなら読書能力があればなんとか足りる。しかし、古くなった自分の脳に直接介入してどこかを「書き換え」ようと思うと、なんというか……ペンを持つ手に腕力が必要になるというか……つまりは「読む眼力」だけではなく、「書く筋力」が必要になる。

「書く筋力」を鍛えるにはどうするか。

そこで「研究」の重要性が浮かび上がってくる。

世の中にあるガイドライン、取扱い規約、さまざまな診断基準、あるいは「標準治療」と呼ばれるものなどはすべて、誰かが「研究」をした末にできあがったものだ。これらを世の中に「書き込む」、あるいは進歩にあわせて「書き換える」仕事をした人たちが、無数にいるということを理解すべきである。

その上で、ガイドラインや診断基準を自分に取り入れようと思うときは、これらを書いた人たちの気持ちがわかったほうがよいと言いたいのだ。読むだけで脳に書き込めるほど我々のOSが単純ではないということは、大学受験や医師国家試験の受験をこなした経験があればよくわかるであろう。「書き込む訓練」が必要なのである。

だから医師はみな研究をすべきだ。「研究の手続き」について、ある程度自分で経験をしておけば、読む眼力に書く筋力が加わり、医療のアップデートが自在にできるようになる。

さあ、そのような「前提」を確認した上で、あらためて、研究のタネを見つけてそのあとどうするのだ、の話を具体的に。



「研究のタネ」を見つけたならばそれを植えて育てよう。しかし、あわててはいけない。

タネを植えるには土が必要だ。その土には肥料も混ぜるべきだし、ときには酸性度などにも気を遣う必要がある。日照状況はどうか? 土の温度はこれからどう上がっていくのか?

すなわち、研究のタネを見つける以前に、「土」のことを考えよう。どのようなジャンルで、どのようなバックアップのもとで研究をすすめていくかを考えないといけない。タネだけ手に入れてもしょうがない。所属する場所や師事する相手を選ぶところから研究ははじまっている。

「どんな場所でも研究はできるよ」と軽々しく口にする人(たいていは偉い教授とか元・教授)がいる。しかし、そういう人も実際には、昔の農家でばりばり働いた十分経験を踏まえて自宅に家庭菜園を作っていたりする。そういうのは立ち位置としてズルいのであまり真に受けてはいけない。「研究のタネはどこにでも転がっているよ」みたいな超初学者相手のアドバイスに並べて「そして研究はどこででもできるよ」という上級者向けのアドバイスをする人は構造が見えていない残念な人か、構造を忘れてしまった幸せな人か、あるいは構造を意図的に無視するいじわるな人だ。


さて、首尾良くいい土にタネを植えたら今度は育てていく。水やりはできそうか? 雑草を抜くだけの根気はあるか? どれくらいのタイミングで追肥をする? アブラムシ対策は?

これは研究の手続きを知るということだ。現場で得た疑問を、「この順序で検討すればたいていはうまくいく」という手続きに乗っけていくことをしないと、科学のお作法を無視したひとりよがりな研究になってしまう。具体的な研究の過程では、日常診療では学ぶことができない「手技」がいっぱいある。となれば、「タネをすでに育てた人たちの具体的な日記」を集めて回り、自分でも手を動かして訓練することが必要になってくる。


育った作物からはきちんと収穫をしよう。そして収穫したものは出荷する。タネから実まで得られたらそこで終わり、というのではもったいない。医療を趣味でやっているならいいが、他者のために為しているのだから人の為に出荷するのだ。これはつまり学会報告から論文にまとめていく作業である。作物を育てるのと、収穫や出荷とでは、違う働き方が必要なのと一緒で、仮説を立てて研究データを集めて検証するのと成果を論文化するのとはそれぞれ違った能力に基づいている。


ところで、農産物を出荷するだけでなく、加工や販売まで自前でやってしまうという手もある。農業という「1次産業」に加えて、工業・製造にあたる「2次産業」、そして販売まで考えた「3次産業」までこなす、通称「6次産業」という言葉があるが、じつはこれは医学研究にもあてはまるように思う。まあここまで考えるのはある程度研究慣れしてきた人だけだと思うが、最初の「タネ」とか「土」の話に戻ると、自分が選んだ「土」(研究環境)が、そもそも1次産業向きなのか、あるいは6次産業っぽさを含んでいるのかというのをあらかじめ考えておくのも大事なことかなとは思う。




さて、たとえ話をふんだんに盛り込んだが、では具体的にどうやって「タネを育てるための訓練」を……いや、「情報収集」をすべきなのか。これにはもうあからさまな回答がある。それは、

学会に出て、他人の研究の手続きを見ること

である。

ぶっちゃけ論文だけ読んでいても、タネの育て方はわからないことが多い気がする。完成した論文というのは言ってみればスーパーに並んでいる農作物であり、加工された缶詰めや冷凍食品に近い性質を持つ。論文を読むことですぐに活用できる知識は手に入るし、裏書き(material and method)を読めば細やかに原材料名が書いてあるから、自分も論文に書いてあるとおりに研究すればやれるだろう……なんてのはちょっと甘いのだ。それは農業をある程度わかった人のムーブである。じっさいには、土選び、毎日の管理など、泥臭い部分をもっと知らないとなかなか研究は進んでいかない。

そういうとき、学会に出て、「これから論文にしようと思っている研究内容」を話す人を見つけて、今まさにどのような手続きを行っているのかを肌で感じるのが役に立つ。発表者のまわりにはたいてい指導医、教官がいて、それが「土」だ。つまりタネと生産者と土をいっぺんに目で見ることができる。論文だけだとなかなか手に入らない細かい手続きの部分を情報収集しやすい。



と、ここまでツイッターでつぶやくほうがいいと思うのだが、140文字だとちょっと文字数が足りなかったのでブログにした。学会には行きましょう。Windows MEのままで終わりたくないならね。