「行動記録型の日記」と「思索記録型の日記」があるとして……みたいな書き出しで、なにごとか書けないかと思ってPCに向かった。しかし実際に今の一行を書いて読み直してみたところ、どちらかというと「分類型の日記」と「連想型の日記」について書きたい気持ちのほうが強いということに気づく。
ちなみに、上の文章は「分類」をしたいのか、それとも「連想」をしているのかというと、どちらでもあるわけで、なかなかこうばっさりと分けるのは難しい話である。書きたい気持ち VS 書けなさそうな可能性 の戦いは、2-3で後者が勝利して今シーズンの全日程を終了。
大学2年生くらいからホームページに文章を書き始めた。ただし、ホームページだけではなくミクシィやらブログやらいろいろと分散させていたことがよくなかった。引っ越しした際にプロバイダのJcomを解約したら、うっかりホームページデータサーバも解約してしまい、それに気づかずにしばらく時間が経ち、間の悪いことにPCを買い換え、前のPCにホームページビルダーの元データがすべて入っていたことに気づかずPCを初期化して処分してしまった。そういえば最近ホームページ見てないなと思って見に行ったらデータは跡形もなかったのでかつてのホームページはもう見ることができない。正確にはウェブアーカイブス的なサービスでトップページだけは見ることができるのだけれど、もはや書いていた記事まではアーカイブされていない。
数年前まではもう少し記事をたどることができたのだが、今みたらトップページ以外はほぼ完全に消えてしまっていた。記憶の消え方と並行している。なお言わなくてもいいことだが、ストーカー被害を避けるためにかつてのブログなどもすべて削除してしまったので、結局昔書いたものはもう何も残っていない。ウェブタトゥーなどと言うが、タトゥーも消えるのである。実際の墨ほど保存性はよくない。
20年前の自分の気持ちのかけら、ほんの一部だけ覚えている。「世の中の何かを分類する方式」で書いたものと、「何かから連想をつなげていって書く方式」で書いたものとを交互に投稿しようとぼんやり考えていた。上でも述べたように、その両者は必ずしもきれいに分かれるものではないと思うけれど、分類型の自分と連想型の自分とを見比べてみたいという欲望が当時からあったのだろう。
ホームページが消えてしまったあと、消失感と共にはじめたのがTwitterだった。Twitterをはじめて数年経った頃、三中信宏先生の『分類思考の世界』と『系統樹思考の世界』を読んで、そうそう、そういうことをぼくも高い練度でやりたかったんだ、とため息をついた記憶がある。
分類は世界を知るための作業、連想は世界を広げるための作業だ。
当時のぼくは、知っては広げ、広がっては知り、をくり返してぼくは今のぼくにつながる何かを作ろうとしていたのではないかと思う。「何かを作る」とは書いたものの、別に、今のぼくになることをあらかじめ予想して立ち回っていたわけではないだろう……しかし今、当時のぼくが考えていたことをほとんど覚えていない以上、逆に、今のぼくは昔のぼくがなりたかったものだという可能性を自分から捨てる必要もない。なにせ覚えていないのだから。誰も答えは持っていないのだから。
たぶん今のぼくは昔のぼくがなりたかったぼくだ。このように、毎日寝る前に唱えておけば、睡眠中に何度も何度も海馬を言葉が通過して、低確率で数十年残る記憶として刻印される。そうすれば、次の20年が経ったころ、「40年前のぼく、その後、なりたいぼくになれて良かったなあ」と、今作った記憶を振り返って目を細めることもできる。なんとも創造的な話である。