2019年8月8日木曜日

病理の話(352) これから病理医になる人が一番幸せだと思う

かつて、四国がんセンターの寺本先生という人が、「病理医が足りてないって連呼するの下品だよ。人数は足りてるかもしれないんだから。」と言ったとき、ぼくは「げえっ」と曹操の顔になった。





病理医は医者の中の0.6~1 %くらいしかいない、というのは事実。

また、病理医が足りなくて困っている病院がある、というのもおそらく事実。

「ひとり病理医」と呼ばれるブラックな勤務形態がけっこう多い、というのもたぶん事実。

しかし、これらの問題を是正するうえで、病理医をいっぱい増やせばいい、というものではないらしい。




改善すべきは、病理医の総数ではなく、病理医の配置。

数は今のままでも足りている。しかし、需要に対する分布がうまくマッチしていない。





たとえば東京では病理医が飽和していて、病理医になろうと思っても研修する病院がうまく見つからないケースがあるという。全く研修できないというところまではいかないのだが、思ったような給料、思ったような勤務形態では働けなくなりつつあるそうだ。

しかし、東京以外の都道府県では病理医にはなり放題。どこの病院も基本的に病理医は足りていない。

一部の、「病理医になる上で人気の研修病院」だけは人があふれている。

一極集中。

なんか、病理医だけの話ではないよね。こういう話はさ。

たとえば地方都市の過疎化をとめられる政治がないように、大卒者の人数が減って有効求人倍率が1.0に近づこうが一流企業の入社倍率がいっこうに減らないように、

「なりたい場所でやりたいことをしようと思うとたいへんだが、足りないところではめちゃくちゃ求められている」

という原則がおなじようにあてはまっているだけなのだろう。




人数をただ増やしても意味がない。

「あなたこそが病理医でいてくれないと、人の作る医学は前に進んでいかない」

という、医学界がぜひにと求めるほどの高度の知性、医者全体の上位1%の頭脳の持ち主が病理医になってくれれば、人数自体はそこまで増えなくてもいい。

ただ、配置のゆがみだけはなんとかしなければいけない。




で、まあ、普通はこういうゆがみはもうどうしようもないんだよね。

中央じゃなくて地方も大事にしようよ、みたいなきれいごとが、通用したジャンルなんてないじゃない。

東京に住みたい人が青森や和歌山に住む未来はこないでしょう。

釧路や稚内の人口が増加に転じることなんてないもの。




でも、病理医だけは、もしかすると、大逆転可能かもしれないんだよね。

デジタルパソロジーとよばれるデジタル病理診断技術と、AIのおかげで。

病理医が中央に集中していても、PCモニタ上で診断が完結する状態が達成できれば、分布のゆがみは問題ではなくなる。

病理診断がデジタル化すれば、病理医がどこにいるべきかという場所の問題が一部解決する。

さらに、極めつけはAIだ。

AIによって、人間とは違う視点から、人間以上の労力が投入されることで、病理医の双肩にかかった負担が単純に減る。

学者を忙しくしてはだめだ。でも、残念ながら、現代の病理学者は基本的に忙しい。

これがAIによってラクになる。

そうすれば、創造的な知性を用いる仕事に専念できるようになる。

「極めつけの知性」を誇る病理医たちは、単純作業、反復労働、肉体労働から開放されて、物理学者や数学者のように、ひたすら知性をふりかざして真理を追っかけていけばいい。夢のような話だ。

患者の最大公約数に最大幸福を与えるために、今まで努力と根性によって構築された人力の統計学なんぞ、ばんばんAIによってとってかわられればいい。

学生が数か月病理学講座に通えば判定できるレベルの、がんと非がんの見極めとか、がんの広がっている範囲をマッピングする作業なんぞ、どんどんAIにやらせればいい。

がんの細胞をラボに送って、多くの遺伝子検査をして、治療に対応する遺伝子変異を探し出すなんてのもどんどんAIにやらせればいい。

「病理医はAIに仕事を奪われる」とか言っている病理医の仕事は全部奪われてしまえばいい。

ほんとうの意味で、「病理医しかできない仕事」を探っていけばよい。そういう仕事はきちんとある。

少なくとも一般の企業では、AIによって多くの仕事が代替されはじめており、人が何をやるべきかに目を光らせている。病理医も同じようにすればいい。

医学知識の中枢として人間ができることを、肉体労働で忙しい臨床医のかわりに、どんどん脳だけで追い求めていけばいいのだ。




これから病理医になる人が一番幸せだと思う。

ただしもう、それほど、人数はいらないのだと思うけれど……。