かつて、四国がんセンターの寺本先生という人が、「病理医が足りてないって連呼するの下品だよ。人数は足りてるかもしれないんだから。」と言ったとき、ぼくは「げえっ」と曹操の顔になった。
病理医は医者の中の0.6~1 %くらいしかいない、というのは事実。
また、病理医が足りなくて困っている病院がある、というのもおそらく事実。
「ひとり病理医」と呼ばれるブラックな勤務形態がけっこう多い、というのもたぶん事実。
しかし、これらの問題を是正するうえで、病理医をいっぱい増やせばいい、というものではないらしい。
改善すべきは、病理医の総数ではなく、病理医の配置。
数は今のままでも足りている。しかし、需要に対する分布がうまくマッチしていない。
たとえば東京では病理医が飽和していて、病理医になろうと思っても研修する病院がうまく見つからないケースがあるという。全く研修できないというところまではいかないのだが、思ったような給料、思ったような勤務形態では働けなくなりつつあるそうだ。
しかし、東京以外の都道府県では病理医にはなり放題。どこの病院も基本的に病理医は足りていない。
一部の、「病理医になる上で人気の研修病院」だけは人があふれている。
一極集中。
なんか、病理医だけの話ではないよね。こういう話はさ。
たとえば地方都市の過疎化をとめられる政治がないように、大卒者の人数が減って有効求人倍率が1.0に近づこうが一流企業の入社倍率がいっこうに減らないように、
「なりたい場所でやりたいことをしようと思うとたいへんだが、足りないところではめちゃくちゃ求められている」
という原則がおなじようにあてはまっているだけなのだろう。
人数をただ増やしても意味がない。
「あなたこそが病理医でいてくれないと、人の作る医学は前に進んでいかない」
という、医学界がぜひにと求めるほどの高度の知性、医者全体の上位1%の頭脳の持ち主が病理医になってくれれば、人数自体はそこまで増えなくてもいい。
ただ、配置のゆがみだけはなんとかしなければいけない。
で、まあ、普通はこういうゆがみはもうどうしようもないんだよね。
中央じゃなくて地方も大事にしようよ、みたいなきれいごとが、通用したジャンルなんてないじゃない。
東京に住みたい人が青森や和歌山に住む未来はこないでしょう。
釧路や稚内の人口が増加に転じることなんてないもの。
でも、病理医だけは、もしかすると、大逆転可能かもしれないんだよね。
デジタルパソロジーとよばれるデジタル病理診断技術と、AIのおかげで。
病理医が中央に集中していても、PCモニタ上で診断が完結する状態が達成できれば、分布のゆがみは問題ではなくなる。
病理診断がデジタル化すれば、病理医がどこにいるべきかという場所の問題が一部解決する。
さらに、極めつけはAIだ。
AIによって、人間とは違う視点から、人間以上の労力が投入されることで、病理医の双肩にかかった負担が単純に減る。
学者を忙しくしてはだめだ。でも、残念ながら、現代の病理学者は基本的に忙しい。
これがAIによってラクになる。
そうすれば、創造的な知性を用いる仕事に専念できるようになる。
「極めつけの知性」を誇る病理医たちは、単純作業、反復労働、肉体労働から開放されて、物理学者や数学者のように、ひたすら知性をふりかざして真理を追っかけていけばいい。夢のような話だ。
患者の最大公約数に最大幸福を与えるために、今まで努力と根性によって構築された人力の統計学なんぞ、ばんばんAIによってとってかわられればいい。
学生が数か月病理学講座に通えば判定できるレベルの、がんと非がんの見極めとか、がんの広がっている範囲をマッピングする作業なんぞ、どんどんAIにやらせればいい。
がんの細胞をラボに送って、多くの遺伝子検査をして、治療に対応する遺伝子変異を探し出すなんてのもどんどんAIにやらせればいい。
「病理医はAIに仕事を奪われる」とか言っている病理医の仕事は全部奪われてしまえばいい。
ほんとうの意味で、「病理医しかできない仕事」を探っていけばよい。そういう仕事はきちんとある。
少なくとも一般の企業では、AIによって多くの仕事が代替されはじめており、人が何をやるべきかに目を光らせている。病理医も同じようにすればいい。
医学知識の中枢として人間ができることを、肉体労働で忙しい臨床医のかわりに、どんどん脳だけで追い求めていけばいいのだ。
これから病理医になる人が一番幸せだと思う。
ただしもう、それほど、人数はいらないのだと思うけれど……。