2019年8月21日水曜日

病理の話(356) 歩く図書館

ぼくは臨床医が書いた本をよく読む。

その多くは、非常に専門性が高い。



胃カメラは、その名の通り、胃をみるためのものだ。長細くて、光ファイバーを使うことで先端のあたりがみえる触手。拡大機能つき。マジックハンド機能搭載。胃をみる途中にあるノドや食道もみえる。十二指腸だってある程度みえる。べんり!

でも胃カメラで肛門はみない。

痔はみられない。

肝臓もみない。

心臓もむり。

肺もむり。

腎臓もだめ。

脳もみられない。




そんな胃カメラの、見たり摘まんだりする機能の中の、『拡大機能の使い方と、拡大してみたときの模様の分類』なんて、もう、重箱の隅の隅にくっついている米粒ひとつ、くらい、マニアックな情報だ。

このマニアックな情報だけが書かれた本が、12000円くらいする。




専門性が高い医療書籍はほとんど売れない。

初版は1500冊とか2000冊。重版はまずかからない。

印税が8%だとしたら、この本が一冊売れると著者には960円入るが……。

マニアックすぎる本を書くには複数の著者が必要なので、たいてい、10人くらいの医者が執筆している。

だから一冊売れて入ってくるお金はたいてい100円。

750冊売れれば75000円。

医療系の本を書くだけでは食っていけない。

マニアックで高度な専門書は、書いても食えない。




ぼくは臨床医が書いた本をよく読む。

どれもこれもマニアックすぎる。通読してもよくわからないけれど、一度は通読する。たいていはその後、「本当にその情報がほしい日に備えて、本棚に眠らせておく」ことになる。

はっきりいって、一度読んだあと、二度と読まないこともある。

でも、その本をぼくが本棚に入れておくと、自分の病院にいる、あるいはほかの病院にいる別の医者が、その本を借りにくることがある。

「あの……本。ありますか」




だれのために書いているのだ。

なぜそんなものを、売っているのだ。

そこまでして世に出しておかなければいけないのか。そのマニアックな知恵は。

……うん、誰かが書いて、誰かが買って、世のどこかにおいておかないといけない。

いつかだれかの参照場所になるために。






病理医は病院の中に、専用の図書館を作る仕事である。いつかだれかがマニアックな疑問をもったときに、いつでも訪ねてこられるように、本棚を作って人を待つ。

そんな、病理医が、一般向けに本を書く?

向いてない。職能とちがう。

きちんと、一般向けの文章を知っている編集者が、なぐって矯正しないといけないだろう。

あるいはそのまま、歩く図書館として、育てきるか、だ。