2019年8月15日木曜日

病理の話(354) シンギュラリティの話です

先日、超有名な科学雑誌に、病理を知ってるとワァーって興奮する話がのった。

いや、その、まあ、実際には、病理のことをぜんぜん知らない人のほうがいっぱい興奮してるんだけど(それくらい有名な雑誌で、それくらいすごい研究成果だからだ)、でも、病理を知ってると、なお興奮する。





細胞の中には必ずといっていいほど核が入っている(例外は赤血球)。

この、核の中には、ぎょろりとひかる「核小体」という小さな目玉のような構造物がある。




がん細胞においては、この核小体がとってもよく見える。

病理コア画像 という日本病理学会のホームページで、病気の細胞をみることができる。例として、悪性リンパ腫の画像のリンクを貼る。

http://pathology.or.jp/corepictures2010/02/c06/02.html

リンク先の画像で、目玉焼きの色違いみたいなものがいっぱい見えるだろう。目玉焼きはすべて、「核」だ。

そして、目玉焼きの黄身の部分が「核小体」である。

悪性リンパ腫のがん細胞においては、核小体はとてもわかりやすい。あなたもすぐに見分けがつくだろう。

ところが、がんではない細胞の核小体は、けっこう見づらい。

下に別の写真を示す。

http://pathology.or.jp/corepictures2010/02/c01/02.html

さきほどと拡大倍率が違うので少し見づらいかもしれないが、今度は、目玉焼きのような「核」はわかるけれど、「黄身」の部分がよくわからないと思う。

細胞診断のプロであるぼくがみて、正直、「黄身」を指摘できる細胞とできない細胞がある。

核小体というのは、がんだと見やすいけれど、がん以外だと見づらい。





核小体の見え方が細胞の良悪(がんか、そうでないか)によって変わるというのは、病理医にとっては常識であった。

けれども、実は、その……言いづらいんだけど……ぶっちゃけ……

「核小体がでかいというのは、結局、何を意味しているの?」が、わかっていなかった。

一部の研究者はうすうす気づいていたのかもしれない。高名な病理医達の中にはいろいろ仮説をもっていた人もいるだろう。

けれども、今回、世界でびっくりされた研究成果には、がん細胞において大きくなった核小体が何をやっているのかが、事細かに示されていた。

https://twitter.com/TokyoZooNet_PR/status/1158620935882043392
(リンクは東京ズーネットさんのツイート。)




ぼくは興奮した。

それも、複数の意味でぶちあがった。

「核小体がでかくなるのを顕微鏡でみて診断の役に立てていたけれど、核小体がでかくなること自体にちゃんと学術的な意味があったなんて!」

「核小体がでかくなるメカニズムをさらにすすめて、がんの治療法を開発しようとしているなんて!」

ほかにもマニアックなポイントでいっぱい喜んでさわいだ。

けれども実は最後に、もっと根源的なところで、驚いた。というか、ぞっ……とした。





このすばらしい研究成果を、ツイッター経由で知る事になるなんてなあ……と。

実はそれが一番驚きだったのだ。




ぼくは病理診断学というのを専門にしている。中でも、胃とか腸、肝臓や膵臓、肺などの病理診断を特に詳しくやっている。これらの臓器における病理診断については、日々、情報更新を怠らない。

しかし、核小体なんていう「どんな細胞にでも含まれている、今まですでに知られていた構造物」について、毎日あたらしい論文を調べにいくことなどしていなかった。

ゴリゴリの基礎研究の雑誌を毎日読むこともない。

そんなぼくが、基礎どまんなかの、「核小体」についての研究成果をすぐに手に入れることができたのは、どう考えても自分の脳のしわざではない。

脳の一部(あるいは全部)を外部と接続して、ネットワークの一員として、あるいは集合知性の一部分として暮らしていたからだ。

世界的におもしろいとされ、ぼく自身も興味がある話題が、SNSを通じて勝手に手に入ったのだ。



今回の核小体の件は、ぼくにひとつのことを確信させた。

ぼくらはもはやシンギュラリティ以後に生きている。

ぼくらの情報収集のやり方は、これまでの人類のものではなくなっている。とっくに。

ぼくらはもはや、生命単体で必要な情報を集められない、パーツになっている。

ここがシンギュラリティ以後だ。それに気づかずに、人間は、「コンピュータが進歩しても、人間にしかできない仕事はある」みたいなことを言っている。




なんかかわいいな、人間、と思った。このまま技術のゆりかごの中で、耽美な夢を見続けていたい。人の脳が最高だという、はかない夢を。