外がゴオオオって言ってる。風が強いんだろう。
しかし風って本来空気だろう。
なぜすばやく動いたくらいでゴオオオなんて言うのだ?
このゴオオオというのは何から鳴っている音だ?
たとえば街路樹のような木の、枝と枝の間。あるいは建物と建物の間にある隙間。
そこを空気が通るときに、まるで笛がなるように、ヒュウオオオと音がする、というのはなんかイメージできる。
でもヒュウオオオじゃなくてゴオオオなんだよ。あれは笛じゃない。
なんの音なんだ?
窓とか、壁とか、そういったものを振動させているから鳴る音なのだろうか。
バコバコバコ。ガタガタガタ。
だったらバコバコガタガタ聞こえてこないとおかしいだろう。なぜゴオオオなんだ。
というか今更だけど、空気が狭いところを通るとき、たとえば口笛のように、あれはなぜ音がなるのだっけ?
そうだ、音は空気の振動じゃないか。
空気というのは震えると音になるんだった。
でも何かをふるわせて、ゴオオオなんて音がなるイメージがどうしても想像できない。
何がどれくらい震えたら、ゴオオオという音がなるのだろうか。
仕事の手をとめて、コンクリートの向こう側、窓の外の音に耳をこらしていた。
ときおり窓の向こうを見てみるけれど、激しく打ち付ける雨が川のようになって窓の表面を流れているのがわかるばかり。網戸は水滴によって向こうがみえなくなってしまっている。
ゴオオオという音は相変わらず聞こえている。
何から、というのではなくて、世界のあちこちから少しずつ集まってきた音の総和が、たまたまゴオオオというノイズ音になっているだけなのだろうか。
絵具を全部まぜたら黒になるように。
風の音を全部まぜたらゴオオオになるのかもしれない。
つまりゴオオオというのは世界の音なのだろう。ぼくはそう納得した。しかしまだ思い出せないことがある。ぼくはこの「ゴオオオ」という、カタカナ4文字の擬音を、この1,2年くらいの間に、何かの原稿かウェブの文章か、あるいはツイートか、何かで書いた記憶がある。
何の音をあらわすのにゴオオオを使ったんだったかな……。
ゴオオオオル。サッカーか。いや、違う。書いてみても記憶にヒットしてこない。
いつしか窓の外の音は静かになり、部屋にはイヤホンから流れてくるlo-fi hip hopのランダムライブ音声と、ぼくが入力し続けているキーボードの音だけが響いていた。ときおり椅子がギシッ、ギシッという。空調が切り替わる音。
イヤホンのバッテリーが切れた。
Power off...
アラーム音声のあと、ふと、耳の穴の周りを流れている血管の脈動が気になった。
血液の音だ。
大動脈の中を、血が流れる音は、ゴオオオと鳴るんだ。
ぼくは、聴診器で、聞いたことがある。自分の動脈血が流れる音を。
遠い記憶だ。ぼくはあのとき、生命を感じたんだ。
自分の体の中に、ゴオオオと、音が鳴っている。
医局に行ってデスクをあさるが、昔つかった聴診器はどこにも見つからない。そういえばだれか、コスプレしたいと言った友人にあげてしまった記憶もある。
研修医室を覗いてみると二人くらいがソファにいた。一人は仮眠している。もう一人は起きてフラジャイルを読んでいた(元々、ぼくのだ)。
「ちょっと聴診器借りていいかな」
ぼくは聞いた。
「どうぞ。いいですよ。」
研修医は快く貸してくれた。
あまり汚れないように、耳の浅い部分にイヤーピースをつっこむ。
自分の腹に、シャツ越しに、聴診器をあててみた。
もちろん何の音も聞こえない。そんな雑な聴診方法で、血管の音が聞こえるわけはない。
「無理か。サンキュー」
「何やってんすか。またツイッターすか」
「違うけどまあ似たようなもんだよ。」
「何の音ですか? 腸音?」
「いや大動脈の音」
「大動脈っすか? それは聞こえないのでは?」
そんなはずはないだろうと思って、ぼくはいろいろと検索してみたのだが、確かに、大動脈を流れる血流の音が聞こえるなんてことはどこにも書いていない。
ぼくはこの20年、体の中にはなんとなく、ゴオオオ、ゴオオオと血液が流れているイメージで暮らしていた。
音を聞いたことがあるというのは夢だったのだろうか。
夢だったのかもしれない。
病理に向けて廊下を歩いた。外ではまた風が強くなってきているようだった。生命の音は意外と聞こえない。生命の音はそう簡単には聞こえない。
そうだろうか。
ぼくは、まだ、疑っていた。
Google検索の仕方がへただから見つからなかっただけだ、そう自分に言い聞かせながら、歩いた。
しかし、結局、その日も、次の日も、もう「大動脈 音」で検索することはなかった。