大学2年の春ころだったと思う。
ぼくは実家に住んでいた。PHSを持ち始めたころだった。誰の家にも、固定電話(家電)があった時代の話である。
家電が鳴り、おふくろが出て、ぼくの方を向いて、三上君から、と言った。
とても懐かしい名前だ。ぼくは驚いてしまった。
幼稚園のときに1つ下に居た、というだけの関係。小学校時代は同じ剣道の道場に通っていたけれど、一緒に遊んだことがどれだけあったろう。小学校は違ったはずだ。中学校が同じだった気もするのだが、高校以降は会ったこともなかったはずだった。
そんな彼は電話の向こうから、あいさつもそこそこに、いきなりこう言った。
「先輩」
そうかぼくは先輩だったか、と思った。次に彼は驚くことを言った。
「バンドやりましょう」
ちょっと何言ってるかわからなかった。ぼくはリコーダー(ソプラノ、アルト)と鍵盤ハーモニカ以外の楽器をやったことがない。楽譜もろくに読めない。コードに到っては当時概念を知らなかった。剣道、の聞き違いかと思ったくらいだ。しかしバンドと剣道を聞き違えるわけもなく、ぼくはとにかく、「できるわけないじゃん」と言った。
しかし彼はそこでなぜか食い下がった。
「先輩はボーカルをやればいいです。ぼくはドラムをやります。残りのメンバーはぼくが探してきます」
彼の気まぐれの理由は未だにわからない。しかし彼の熱意は本気だった。
なんでも彼は、つい先日、「ハワイへのドラム留学」から帰ってきたばかりなのだという。そのときは呆然としてスルーしてしまったが、そもそもドラム留学というのがなんなのか、20年以上経った今思い出しても意味がわからない。
彼は言った。こっちから電話しておいてアレだが、引っ越してきたばかりでここしばらくはばたばたしている。だから数週間後になるけれども、また電話する、そのとき、家から自転車で10分ほど行ったところにある貸しスタジオに来てくれと、野太く落ち着いた声で、丁寧に言った。
とりあえずぼくはうんと答えた。しかし、電話を切って、急速に不安になった。楽器もボーカルも未経験。そもそもバンドとは何なのか、よくわかっていなかった。
直前に読んでいたMADARA公認海賊本(ぼくは当時この本をMADARAシリーズの続きだと思って買ったのだが、カオスと聖神邪がすぐチューするふしぎなマンガだなあと思って読んでいた。今にして思うと角川はオフィシャルで同人誌を作って売っていたのだから狂っている)の中に、バンドやろうぜ的エピソードが載っており、キャラクタたちがバンドスコア(演奏するための楽譜)を集めていた。そこにこう書かれていた。
「サザン……ジュンスカ……爆スラ……」
サザンはいわずと知れたサザンオールスターズ。ジュンスカとはJUN SKY WALKER(S)である。爆スラとは爆風スランプ。なんとも時代を感じさせるラインナップだ。おまけに音楽性に統一感がない。きっとこのマンガの作者は、バンドのことなぞよく知らなかったのだろう。
でもぼくはそれ以上にバンドに対する知識がなかった。
GLAYのことは化粧したうるさい男達だと思っていた。ラルクのことは化粧したちっちゃいおっさんだと思っていた。LUNA SEAはドラムの真矢がデブでしゃべるやつだということをなぜか知っていた(なぜだ?) ミスチルは桜井しか知らなかった。ドリカムはバンドというよりテレビだと思っていた(?)。
受験が終わって1年が経とうとしていたが、ぼくの部屋には未だに、チャゲアスの古いCDくらいしかなかった。
これではさすがにまずいと思ったぼくは、中古のCDショップに行って、とりあえずバンドミュージックみたいなものを聞きたいと思った。
サザン、ジュンスカ、爆スラ……このあたりが、バンド……。
サザンのジャケットを見つける。これはちょっと年齢が上すぎるのではないかと思った。大学生がやるバンドとしてサザンのコピーはへんだろうと直感した。爆風スランプのことは知っていたが、自分がハゲのボーカルを担当できるとは思わなかった。だいいちパッパラー河合というネーミングセンスが微妙だとバカにしてさえいた(現・病理医ヤンデルです)。
残るはジュンスカだった。ぼくはジュンスカのアルバムのひとつを手に取った。
全部このままで、とか、スタート、などの曲が入っていたベスト盤(?)だったように記憶している。どことなくブルーハーツに似ていると思った。今にしてみれば、ギターが乱暴にコーラスに入ってくるところくらいしか似ていないようにも思うけれど、当時のぼくの、嘘偽りない感想だった。
数週間後、三上はぼくの家まで尋ねてきたのではなかったかと思う。彼は見違えるほど背が伸びていた。たぶん180センチ以上あったろう。ぼくの中で彼はなんとなく幼稚園時代のイメージのままだったので、おののいてしまった。おまけに彼の上腕は棍棒のように太く、ああ、これは確かにドラマーなんだろうなあと、ぼくはあまり根拠のない納得をした。もしかしたら剣道を続けていたのかもしれなかったが。
そして彼はぼくを連れて、家から少し離れたところにあった貸しスタジオに出向いた。貸しスタジオと言ってもそこはうらぶれた地方の公民館みたいなところだった。コンクリート打ちっぱなしというか、塗装がはげて朽ちっぱなしといったたたずまいだ。
彼はぼくに、ギターとベースを紹介した。彼らは正面をまっすぐにみないタイプだったので安心した。ぼくも人と目を合わせるのはいやだったからだ。
三上はぼくに、どんな音楽をやりたいかと言った。
ぼくはさほど考えず、答えた。「ジュンスカとかかなあ」
するとギターはこちらを見て笑った。「ジュンスカ?」
ベースが、バカにするような口調で、言った。「ぜ~んぶこ~の~ままで~、ってか」
ドラムの後輩は、だまってしまった。
その後ぼくが何を言ったのかは覚えていないのだが、ぼくは、何か思いっきり違うことを言ってしまったのだということだけ、察した。
会合はそれで終わり、その春、三人とはそれっきりだった。
夏、ぼくは剣道の大会に出るために東京にいた。夢の島の体育館で行われた東日本の大会で、先輩達が団体戦で決勝戦まで進み、あと一歩というところで昭和大学にボコられていた。ぼくは補欠にも入れなかったが先輩達の悔しそうな顔はよく覚えている。
大会が終わったあと、ぼくは高校時代の剣道部の同期2名に会うために横浜にいた。うち1人の家で酒を飲んだ。
1人が言った。最近は宇多田ヒカルがすごい。
ぼくは春以来、自宅のケーブルテレビでたまに音楽番組を見るようになっていたから、デビューしたばかりの宇多田ヒカルのことはそこそこ知っていた。しかし、友人たちは、ほかにも、とても多くのアーティストたちの話をした。
「ゆらゆら帝国ってのがすごいぞ」
「ナンバーガールもな」
「GOING UNDER GROUNDがしぶい」
「くるりはおさえておけ」
Dragon Ashだけはわかったが、あとは知らないバンドばかりだった。
札幌に帰ってきて、ぼくは少しずつ、バンドミュージックを聴くようになった。ジュンスカが彼らにあれだけバカにされた理由はまだおぼろげにしかわからなかった。ジュンスカだってこんなにファンがいるのに。でも、バンドをやりたがるようなやつらは、地方の小汚いライブハウスでモッシュしまくるタイプのラウドでノイジーな音楽のほうを圧倒的に愛しているのだ、ということも、なんとなくわかってはきた。
ぼくはジュンスカを聞きながら、ナンバーガールのライブ盤CDが手に入らないかどうかと、知り合いのつてをたどるようになっていた。
大学3年の夏。またしても突然、三上から電話があった。
「先輩。こんどこそバンドやりましょう」
ぼくは、わかった、と言った。今度はスパルタローカルズとか言えばきっとバカにされないだろう。でも、彼は、ぼくをさえぎってこう言った。
「今回はメンバーが違います。安心してください。なお、やる曲はもう決まっています。今度お宅に遊びに行くので、そのとき、そのバンドのCDを持っていきます」
あまり信用されてないかな、と思って少しおかしかったが、ぼくはとりあえずうんと答えた。彼が持ってくるバンドはどんな音楽なのだろう。正直、楽しみだった。これでぼくも、バンドミュージックのまねごとができるんだな、と、ワクワクが止まらなかった。
数日後、三上が持ってきたCD。一曲目は、Kingdom comeという曲。
ぼくはそれを聞いて、大声で笑ってしまった。
SLYというバンド。
https://www.youtube.com/watch?v=kCmkOscWFc4
そりゃ、ジュンスカはやりたくないだろうな。
ぼくはいつまでも笑っていた。このボーカルを自分がコピーするという残酷な事実に、気づかないフリをしながら。