夏休みなので本を読んでいるのだが、多くの本が少しずつ横につながっていくので、うれしい。読んだ本がそれぞれ無駄ではなかったなと思える瞬間だ。
でも、あらゆる本の結論がひとつに集まっていくわけでは、もちろんない。
世の要となる論みたいなものは絶対にひとつに決まってこない。
おもしれえなーと思う。
世界樹みたいなものが世の中心に一本スックと立っていないだろうかと、ぼくは、きっとずっと昔から、探していた。
統一理論でも神でもなんでもいい。
すべてを説明する柱みたいなのが見てみたいなと思ったのだ。
でもそういうのは、たぶん、ない。
札幌は小樽とつながっているし、小樽は余市とつながっている。
そのままたどればいつか函館にも行ける。
けれども札幌と函館がつながっているとは言いづらい。
ちょっと距離がありすぎる。
この二ヶ所を、どちらもおなじ北海道とまとめてしまっても間違いではないけれど。
でも、やっぱり、札幌と函館は別の都市だし、これらのどちらが偉いということもない。
東京もある。
横浜もある。
ニューヨークもカイロもサンパウロもある世界に、中心というものはなく、絶対というものもない。
そんな世界にある、札幌と小樽。
どっちも、うまいものが食える……。
我ときどき思うから我ときどき存在する。
世界の主人公はなく、舞台は常に群像劇。
エントロピーの一次的低下には快感と安息が伴う。
帰納、演繹、仮説形成。
このあたりはかなりいいせん言ってるとは思うけれど、たぶんやっぱり、世界の中心ではないのだなーと思う。
中動態も。
アドラーもだ。
ぼくは脇役。
それがいいんだと、思えるようになった。
あらゆる本がおもしろい。
ぼくはうまいこと、本を読む大人になれたのかもしれない!