2019年8月29日木曜日

病理の話(359) 病理学は美しいか

たとえば小腸という臓器にはひだひだがある。

ケルクリング襞(ひだ)という名前がついている。なおぼくはこの襞という漢字を手書きで書いたことがない。「壁」の上半分と、「衣」か。ああぁーわかるわああー。

ケルクリングひだは、小腸がぜん動するときに、粘膜のあそびというか余裕としてはたらく。カーテンをまとめるとひだひだができて、カーテンをひくとひだひだが伸びるのといっしょだ。小腸はよく動くからね。ひだがないと、割けてしまう。

でもそれ以上に、大事な役割がある。ひだがあるおかげで、限られたスペースにおける小腸粘膜の面積がひろがるのだ。

今から、ぼくが、パイプの輪切りを表した、美麗な図を示す。

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どうだ美しいだろう。だれがみてもパイプの輪切りである。さてこのパイプの中に、ひだを一本いれる。ひだごと輪切りにする。

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このようになる。おしりじゃないぞ。

いずれも、外枠がしめるスペースはほぼいっしょだが、内側部分の面積は「ひだ」が1個あるほうが広い。なんて美しい説明なんだ!


……茶番はともかく。

人体というのはスペースに限りがあるから、無限に臓器を詰め込めるわけではない。限られたスペースの中で仕事効率を少しでも高めたわがままボディが、結果的に歴史の勝者となって生き残り、今に到っている。

だから小腸のひだも残るべくして残った。

さらにいえば、このひだの表面を覆っている粘膜自体が、絨毛(じゅうもう)粘膜といって、表面にダスキンのモップもしくはムーミンのニョロニョロみたいなうねうねが大量にはえたものだ。ナウシカが歩いた黄金の草原でもいい。ああいうモッサモサが、小腸の内側を覆っている。

これもさっきのひだといっしょで、表面積を莫大に増やしてくれる。

さらに絨毛の表面、すなわちニョロニョロの肌の部分にも、きめ細かい微絨毛とよばれる小さなモッサモサがはえている。

微絨毛をさらに拡大すると電子顕微鏡レベルでさらに表面がフサフサしていることもわかる……。




おそらくだが、長い歴史の中で、「モサモサに表面積を増やす」という構造は、マクロ・ミクロを問わず生存に有利だったと考えられる。そのため、小腸の中には、ひだ・絨毛のような構造が繰り返し繰り返し、サイズごとに出現する。

ぼくはこれを「美しい」と感じる。





しかしこの美しさを説明する上で、フッサフサとかモッサモサとか、ニョロニョロとかダスキンのモップとか、果てはおしりみたいとか、とにかく美しい表現が出てこないのは、大変に困ったものだ。

ナウシカがぎりぎりである。もうちょっとなんとかならないのか。





……とりあえず、池澤夏樹さんの本でも読むか……。美しいから。

科学する心 池澤 夏樹(著/文) - 集英社インターナショナル | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784797673722