2021年6月11日金曜日

病理の話(544) セル宮ハルヒの消失

人間の体の中にある細胞は、日々、入れ替わっている。昨日と今日と同じ顔をしているように見えるあの人も、細胞レベルで見るとほんとうはけっこう変わっているのだ。メンテナンスの結果である。細胞は消耗品なので、放っておくとどんどん劣化するから、定期的に入れ替える仕組みが備わっている。


その仕組みのひとつは「タイマーをセットして時間が来たら死ぬ」というものだ。すなわち細胞には寿命がある。どの細胞もいずれ死ぬ。それにあわせて新しい細胞が産まれて、欠落部分に静かに滑り込む。


新陳代謝というやつである! ただこれにもさまざまな仕組みがある。


臓器によるが、「細胞が老化するごとに少しずつ前線に移動させられる」という、全盛期の○○軍でもやらなかったような非道な仕組みが備わっていて驚く。たとえば皮膚や食道粘膜がそうだ。少し深いところで産まれた細胞は、成熟しながら表面に向かって行き、もっとも老いた段階、あとは剥がれて死ぬだけという段階で、最表層に達する。いつ剥がれてもいいくらいに老いている(成熟している)ので、表面にばい菌がくっついたり、外力を受けて傷がついても惜しくないのだ。「人の盾」として戦って死ぬのである。……書いていてなんだこのハラスメントは! と憤ってしまうくらい残酷なメカニズムだ。悲しい。「老兵は死な、利用し尽くされて去りゆくのみ。」ウウーッ悪魔! 鬼! 生命!


一方で、あらゆる細胞が老化とともに最前線で兵士となって戦って死んで行くわけではない。たとえば赤血球。こいつは血液の中で働き始める時点で「核」を失い、自律的に自分を保つ力を失うので、120日くらいで壊れて死んでいくのだけれど、このとき、血管のあちこちで好き勝手に破れて壊れられると目覚めが悪い(?)。いやまあそういうメンタルの話ではなくて普通に赤血球の中に含まれている鉄分がもったいない(リサイクル精神)。そこで、脾臓という「関所もしくは税関にあたる臓器」が登場する。全身をぐるぐる回る赤血球は、基本的にはランダムにさまざまな臓器に配達されてはまた心臓に戻っていくというのをくり返すのだが、一定の確率で独特な迷路のような脾臓を通過する。このとき、若くピチピチして張りのあるお肌をした赤血球は、入り組んだ脾臓をなんなく通過するのだが、老いてやや形状が不均一になったゴツゴツの赤血球は脾臓の迷路でトラップされてそこで破壊されるのだ。ウワーッ老兵フィルター! 倫理的にアウトな選別! 生命!


細胞死をめぐるメカニズムはほんとうに奥が深い。ゾンビ映画などで「もし俺がゾンビになったら躊躇なく撃ち殺してくれ」みたいなのがある(らしい)けれど、細胞の場合はゾンビになるどころか「ゾ…」くらいの段階で自爆したりする。その自爆もひどいのだ。激しく爆風を放って死ぬと周りに迷惑をかけるから、FFシリーズのデジョンみたいな感じで中心に向かってキュンと縮んで小さく死んでいく。テレビのバラエティでモデルあがりのタレントさんが親指と人差し指をねじれの位置に組み合わせながら「キュンです」と決め顔をするシーンがあるけれどあれを見るたびに指と指の間で細胞がアポトーシスを起こしてキュンと死んでいるんだろうなということを思う。今のはうそです。