2021年6月17日木曜日

病理の話(546) 時間のために生きている

時間の流れなんてものが、あるとは思っていなかった。

赤ちゃんの頃はみんなそうだったと思う。




赤ん坊はお腹がすいたら泣きわめき、すぐに食べ物が与えられる。今の欲望に、今の行動、そして今の報酬が、すべてつながっている。欲望がうまれてから達成されるまでのタイムラグがない。

「いつかこの先、母乳が手に入る」という概念は、赤ん坊にはない。

しかし、人は少し育つと、「お腹がすいた→まだご飯じゃないからもう少しがまんして」を経験する。

「今」の欲動に、あとで行動する必要が出てくる。

だんだんと、「まだもう少し先」とか、「まだだいぶ先」といった概念を知る。

こうして、時間の概念が立ち上がってくる。





テレビのバラエティ番組で、犬が飼い主(子ども)に、「待て」を命じられていた。

犬の目の前には高級A5ビーフが置いてある。犬にとってA5がどれだけ意味を持つのかはわからないが、飼い主にとっては「守るべき宝」に見える。

「ぼくがしっかりと『待て!』をできれば、犬はいつまでもこの高級肉を食い荒らさない」

30分「待て」ができたら飼い主の勝利だ。

しかし、たいていの犬は、子どもの「待て」ではがまんができない。すぐにA5肉にかぶりついてしまう。日ごろから散歩に連れて行き、数々の芸を仕込んだはずの子どもは泣き崩れたり、むくれたりする。親はそれを苦笑しながら見ている。

犬は目の前にある肉を「待つ」ことの意味がわからない。もちろん、強い上下関係のもとに、訓練して従わせれば「待つ」ことはできるが、子ども程度では抑えきれない。

「目の前(鼻の先)にある刺激に、リアクションせずにいることが難しい」。

犬は現在に生きている。未来という概念はぼんやりしている。



人間だけが時間の概念を持つ、とまで言い切るつもりはない。たぶん犬にもぼんやりとした過去はあるだろう。

ただ、過去、現在、未来という分け方がこれほどはっきりしている生命は、ヒトのほかには思い付かない。

ヒトの脳は外界を「時間軸込み」で仮想構築する。タテヨコナナメを的確に見分けることに加え、時間軸の中も自由に移動。「四次元仮想空間」を用いて、自分がどう振る舞うべきかを計算し、牙が無くとも、爪が無くとも、この星でわりと自由に生きている。

「今は待って、身を潜めて、危険が去ってから獲物を取りに行こう」を鋭く実行し続けたからこそ、目の前にある果物に気を取られて肉食獣や猛禽類、毒蛇や蚊の群れにやられることなく、ヒトはここまで命をつないでこられたのだろう。

このように、「すぐにリアクションしないで、未来に行動を留保するように、脳を進化させること」によって副産物的に産まれたのが時間の概念ではないかと思う。……副産物にしてはずいぶんと豪華な概念だ。むしろ我々は今や、時間のために生きているフシもある。