「原則」と「例外」のことをよく考える。
たとえば、「細胞核がでかくてゴツゴツしていれば、その細胞は悪性(がん)である」というのは、ほとんどの場面でかなり正しい、病理学の大原則だ。
細胞核には遺伝情報(DNA)が入っている。その細胞が正しく増え、正しく育ち、正しく仕事をするために必要なタンパク質は、すべてこのDNAというプログラムをきちんと読むことで作り出される。そんな大事な核がおかしくなっているならば、その細胞は「正しく増えていない」、「正しく育っていない」、「正しく仕事をしていない」ということだ。
しかし、何事にも例外はある。「核がでかくてゴツゴツしているのに、がんではない」ということもある。
たとえば結節性筋膜炎 nodular fascitisという病気がある。この病気は皮膚の下にできて、急にでかくなって周りに染み込む。患者も医者もぎょっとする。細胞をとって調べる。すると、そこに登場する細胞の核はいかにもでかくて、ギラギラしていて、「悪そう」なのだ。ここで「がん」と診断すると、皮膚の下でしみ込みまくっている病気をとるために、かなり大きめの傷痕が残るような手術をすることになる。
しかしこの病気は、なんとも不思議なことに、しばらく様子を見ていると急速に小さくなって消えてしまうことが多い。少なくともこの結節性筋膜炎が理由で命をおびやかされることはないとされている。
病理診断の原則どおりに診断するとかなり高い確率で誤診する。このことは病理医の間では非常に有名なので、「皮下結節でこういうがんみたいな像を見つけたら逆に気を付けろ」という教えが広く知られている。
「派手で悪そうなのにがんではない」ケースがある一方、「細胞核がおとなしいのにがん」という、真逆の症例も存在する。胃がんの中には、細胞核だけを見てもまずがんと診断することができないものが含まれている(かなりまれである)。細胞が作り上げる高次構造がどこか正常のものと異なる、という、熟達した病理医でなければ気づくことすらできない「違和感」をヒントに、さまざまな手法でがんと診断するのだが、かなり難しい。このこともまた、病理医の中では近年よく知られるようになった。基本的には「よっぽど胃がんを専門的に勉強していないとまず誤診する」ので、「もしや例の難しいやつか?」と思ったら、この病気を専門としている病理医にコンサルテーション(たずねること)をしなければいけない。
例外はめったに起こらない(だから例外という)。しかし、そのめったに起こらないことに備えていなければならない。災害対策と似た部分がある。今日も明日もおそらく大地震はこないだろう、だからといって、家具を固定したり保存食を確保したり家族の避難場所をあらかじめ確認しておくといった作業が意味ないなんて、ぼくらは思わない。「例外」は怖いのだ。その一発で命を奪われるかもしれない、だから備える。診断というのはそもそも未来予測の行為であるが、診断者にはもうひとつ、メタな視点で、「診断を間違うかもしれないシチュエーションを予測して備える」という資質も必要なのだと思う。