2021年6月8日火曜日

農薬をまいたことはない

聞いた話なのだが今年の春、札幌では7週連続で週末に雨が降ったそうだ。それでぼくはいまだにトマトやナスの苗を植えることができないのか……と勝手に納得する。なんとなくやる気がしなかったのはぼくのせいじゃなくて空のせいだったのである。


耕して1か月以上経つ畑は畝のままだ。二度ほど雑草を抜いた。雑草を抜く暇はあったんだな。おかしいな。雑草を抜いたとたんに雨が降ったんだっけな。さっさと苗を植えておけばよかったかな。でもしばらくの間、寒かったんだよな。


畑とは言っても細長く狭く、苗だって10本も植えたらいっぱいいっぱいなのだけれど、夏の終わりくらいまでちまちまミニトマトや大葉やパプリカを収穫するくらいのことはできる。そろそろ苗を買ってこなければ。でもこの先の土日は予定でいっぱいなのであった。飛行機に乗らない暮らしは変わらないが、遠方との仕事の数は確実に戻りつつある。




ぐずぐずと言い訳をくり返す自称偉い人のメールを読んでいた。ここで老婆心ながらそういうことはおやめなさい的な指摘をすることも、なぜか今回のぼくはできる立場にある。しかしさすがにやめた。ぼくが指摘したところで、相手が人間性を修正し、今後、その人に引きずり回される若い人たちの被害をも未然に防ぐことができるだろうかというと、きっとそんなことはないだろうと思った。

疾病の予防には一次予防と二次予防と三次予防とがあって、一次予防はそもそも病気にならないようにすること、二次予防は病気を早期に発見すること、三次予防は病気がそれ以上進行しないようにすることである。むりやり畑仕事に例えるならば、一次予防は農薬をまくこと、二次予防は雑草をむしり葉に付いた虫をつぶすこと、三次予防は虫に食われたトマトを摘み取ることになるのかな。……ちょっと違うかも。「偉くなってからもなお言い訳をしている」というのは三次予防の対象ではある。となると間引けばいいのか。間引けばいいんだろうな。

苗を植えないまま初夏がはじまりかねない。自分のことについては言い訳をいくらでも思い付く。そういうものだ。間引かれた苗の気分になる。ほかの茎が立派に育つためにお前は摘むよと言われた脇芽の気持ちになる。偉くなって実まで付ければ、自分が剪定されるとは思わないが、ぼくはまだ実が付いているトマトの枝をうっかり間違えて折ってしまうこともある。それはもはや予防になっていない、ある種の新しい疾病みたいなものである。