2021年6月22日火曜日

鑑別診断の技術

楽天ファッションアプーリ ラララ 楽天 ファッション アプーリ と歌って踊っているCMがあるのだが、あれずっと浜辺美波だと思っていた。ん? と思って検索したら清野菜名だった。くらべてみたら別に似ていなかった。「若い女優さんがみんな同じに見える現象」がついにぼくにもやってきたのだ。つまりは違う世界で暮らす違う種になっている。


ぼくはハムスターの顔の差がわからない。みんな同じハムに見える。ハムスターはヒトの顔をどれだけ見分けているだろうか。チンパンジーくらい賢ければヒトを見分けるのだろうか。でもぼくはチンパンジーも見分けが付かない。象もカブトムシも、犬ネコであっても、誰が誰やら区別できない。それはつまりぼくが「違う種」だからなのだろう。ヒトであるぼくはヒトしか見分けられない。訓練しない限り。


しかしぼくは今、女優さんの見分けが付かなくなっている。住む世界が違うということか。食べるものも暮らしぶりも違うといえば違う。言葉も通じない可能性もある。意思疎通できるかどうか怪しい。目で見て区別が付かないことに種としての断絶を感じる。



昔は見分けていた物がだんだん見分けられなくなる、という現象を感じることもある。スマホゲームがどれも一緒に見える。走る車もだいたい同じに見えている。道行く青少年たちの見極めもあやしいものだ。心的なストレスによって認知がおぼつかなくなる現象もあるとは聞くのだけれど、ぼくの場合、現時点でツイッターのアイコンは瞬時に峻別できるし細胞診断にも問題がない。40代半ばくらいの人間は滋味をもって見分けが付く。科学読み物の文体、オルタナティブロックのベース音。脳が「ここだけちゃんと見ておきなさい」と専門化していると考えた方がしっくりくる。昔はそうじゃなかったのだから脳は可塑的だということだ。ぼくはここしか分けなくてよくなった。ぼくはここだけ分けて毎日を暮らしている。ぼくはここを分ければいいのだと、脳が心を言いくるめにかかる。