2021年6月10日木曜日

想定内の免疫

その日、議論の相手はどんどん機嫌が悪くなっていった。


学会のとあるセッションに集められた数名は、それぞれの立場から、あるテーマに沿って話す必要があった。視聴者のリアクションがわからないいつものZoomウェビナー方式。今扱っている話題が盛り上がっているのかいないのか、しゃべっている側からすると見当もつかない。リアルの学会であれば、会場のうしろのドアからそっと去っていくオーディエンスを数えて、ああ、このセッションは他人から見るとつまんねぇんだな、と俯瞰することもできたけど。これ、楽しいのかな。わかんねぇな。インターネットの交流は人びとの距離を近くするという。「そんなに顔を近づけたら何も見えないじゃない」。誰だ今の。


登壇者は(強い専門性を有するぼく以外は)みな座長のコネで声をかけられた人ばかりだ。「友人」の頼みを断れなかったばっかりに、自分の専門性とは異なるジャンルのセッションに出て、テレビのコメンテーターばりに知った口を聞かなければいけない。厳しい。苦笑するもの、眉根を寄せるもの、時間を経るごとにフラストレーションが流れて外気に触れて固まって岩になっていく。ごつごつしていてろくに歩けない火山のふもと。


「だったら出演を断ればよかったのに」は正論である。「なぜ人はタバコを吸うのか」、「なぜ休肝日を守れないのか」、「なぜ太る太ると騒ぎながら夜中のコンビニでアイスを買うのか」。おなじことである。


この日、ディスカッションの最中にもっとも機嫌が悪かった人は、もっとも話題についていけなかった人で、かつ、もっとも自分の人生を肯定したい人だった。ぼくはこの「自分を肯定するために他人を否定しなければいけない呪い」にかかってしまった人が、ネットの文字ではなく地声でしゃべっているところを久々に見た。ツイッターと現実の区別がついていない人だったのかもしれないし、ツイッターなんてやっていないだろうな、とも思った。他の人のやりかたを自分が「選ばなかった理由」を大声で周りに言って語らなければ自分の歩んできた道の正当性が証明できないタイプの人。こんな人がいてもディスカッションが盛り上がるわけはない。なぜならこの人がやりたいのは多様な意見を掛け合わせることではなくて自分の意見が最強だとみんなに認めてもらうこと、ただそれだけなのだから。根本的にパネルディスカッションに向いていない。「単独講演」以外では輝けない。そういう人もいる。そういう人が活躍することで助かる人たちも世の中にはけっこういる。だから悪いことではないのだ、ただし、この場にはそぐわない、というだけ。それ以上でも以下でもない。「それ以上でも以下でもない」と言えばきっと激怒するタイプの人。「私はそれ以上でありお前はそれ以下である」がキーワードの人。


議論が終わった後、座長へのメールで、ぼくは件の人をねぎらった。「忌憚のないご意見をいただきディスカッションがとても盛り上がりました、ありがとうございましたとお伝えください」。それに対する返答は、「問題ない、想定内」だったそうだ。負け惜しみ……に聞こえるが本人の中で更新され続ける「真実」なのだろう。あんなに感情むき出しでマグマを垂れ流していたことが想定内。じつに見事な俳優だ。金曜10時のドラマに出たらいい。

後日、ディスカッションの内容がオンデマンド配信されたのだが、その中にくだんの人の発言はなかった。すべてカットされていた。まあ、ぜんぜん想定内じゃなかったんだろう。これにもきっと後付けの真実が、静電気に集まる発泡スチロールの小玉みたいにプチプチくっついていく。


自分が給料をもらっているところだけが「学術」だと思っているタイプの人、世界が滅びても自分の家だけ無傷で建っていると信じている人。もちろん電気もガスも水道もないのだが、井戸を引けばいい、火打ち石を叩けばいい、川で水を汲んでくればいい、むしろなぜみんなそうしないのか、と叫び続けている人。私の体はここからここまで、それ以外は他人、ときっちり線を引いている人。自己と非自己を明確に分けて免疫機能にハッパをかけている人。常在菌がリンパ球にコロされない理由なんて考えたこともない人。自分が部品だと考え付いたことがない人。

何も間違っていない、なぜなら、世の中の誰もが間違ってはいないからだ。

ひとつだけその人が間違っているのは、「自分以外のすべてが間違っている」と信じて疑わないことだけれど、おそらく、鏡を見るだけの時間はあったのだろう、そうでなければオンデマンド内で異物であった自己を削除しようとは思い付かなかったに違いない。ぼくは動画をカットしなくていいのにと思った。そういう人も含めてのネットワーク。そういう人も含めての世界。あなたは人ではなく腸管内常在菌のほうかもしれないし、ぼくも人ではなく皮膚常在菌のほうかもしれない。それでも免疫は寛容である。