体の中からとってきた細胞を、光学顕微鏡で観察するうえでは、「うすーく切って色をつけて、下から光を当てて見る」のが最強である。最強? なにが? と聞かれると困るのだが、ほどよい倍率をすばらしい解像度で見るためにはこのパターンがもっとも優れている。
この、
・薄く切る
が非常に難しい。カンナのおばけのようなミクロトームという刃物で、シャッと切った厚さはじつに4 μm(マイクロメートル)だ。完全に向こうが透ける薄さである。石川五ェ門もびっくり、技師さんの技術はすごい。
ただ、いくら技師さんの技術がすごくても、体内からとってきた組織がフニャフニャだったり、逆にゴツゴツしていたり、あるいはいびつに歪んでいたりすると、そう簡単には薄く切れない。
例え話をする。ここに、栗の実、カマボコ、ほうれん草、ナルトといった具材がある。これらを、「いつも同じテンションでカタンカタンと包丁を上下に動かしているペッパー君的ロボット」に、きれいに切りなさいと言ってもまず間違いなく失敗するだろう。栗はふっとび、ほうれん草はしなっと包丁を受け止めてうまく切れない。
そこでどうするか? すべての具材を茶碗蒸しにして固めてしまうのだ。煮こごりでもよい。
「基材」に埋没させてしまえばいいのである。そうすればペッパー君のカタンカタン包丁でもまとめてうまく切れるだろう。
ということで、体内からとってきた細胞も、茶碗蒸しならぬパラフィンという物質に埋没させる。パラフィンは溶ける温度が60度くらいで、常温では固体になるので便利なのだ。溶かして流して固めればすぐに「細胞茶碗蒸し」が完成する。
ただしここで……注意点がある。体内からとってきた組織をそのままロウで包むとうまくなじまない。なぜなら、パラフィンは「非親水性」だからだ。水をはじく。
ロウソクのロウをスキー板の裏に塗るとよくすべるようになる(北海道民にはおなじみ)。これといっしょで、簡単にいうと、ただパラフィンで組織を包んでもなんかはじかれてスキマができてしまう。
だからパラフィンの中に組織を埋没させる前に、まず脱水を行う。といっても細胞をしぼって水を出せば組織はかんたんに壊れてしまうので、ここでなかなか手の込んだことをする。エタノールに浸すのだ。それも何度も何度も。そうやってだんだん水分を取り除く。最終的にはエタノールをさらにキシレンやトルエンなどの有機溶剤に置き換えることで、完全に水分がいなくなったら、ようやくそこでパラフィンを流し込む。すると組織の中には(外だけではなく内部にも)しっかりとパラフィンが流れ込むのである。
こうして、組織は慎重に脱水されながらパラフィンで埋められて茶碗蒸しになる。これをようやく技師さんがスライスする。透明な膜のような顕微鏡標本ができあがる。でもこれはペラペラに薄くて、そのままでは顕微鏡で見てもなんだかよくわからない。
だから次は色を付ける。細胞の形状がわかりやすくなるような染色を行うのだ。しかしここで次の問題が出てくる。じつは、染色は「水彩画」なのである。水を含む染色液を使うのだが、パラフィンが含まれた検体は水をはじいてしまう。アァー今度はパラフィンが邪魔やんけ。
ということで今度は脱パラフィン(脱パラ)と呼ばれる作業を加える。ペラペラの組織をキシレンにひたしてパラフィンを流しとり、次はエタノールにひたして、そう、さっきと逆の行程を踏んで、だんだんと組織が水になじむ環境に返していく。最終的にエタノールの濃度を下げていくことで水溶性の染色液で染めることが可能になるのだ。
というわけで、細胞からは水を奪ったりまた戻したり、反復が行われて、ようやく細胞には色が付く。
最終的にこれを顕微鏡でみるのだけれど、多彩な行程を通った4 μmのスライスは、そのままだと表面がわずかに毛羽立っている。この些細な毛羽立ちは、顕微鏡で観察するとこれがまあ見事に邪魔で、光が乱反射して、なんだか陰影が強調されてしまってうまく見られない。そこで、検体の表面からオイル的なものをたらしてカバーガラスをかける(スライドガラスの上にカバーガラスをかけたことがある人は多いだろう)。このオイル的なものを封入剤と言うのだが……なんと……いやむしろ予想通り……封入剤はオイルというだけあって(たいていは)非親水なのである。
またかよ! 染色しおわった組織は水になじんでいるから、そのままだとオイル的なものをはじく。だから、再び細胞から水をのぞくためにエタノールをぶっかけて、キシレンで置換して……とやってようやくプレパラートが完成するのである。
親水→疎水→親水→疎水。ドリルすんのかいせんのかい的反復のすえに、ぼくらはとてもきれいなプレパラートを使って、ようやく細胞に何が起こっているのかを見定めにいく。