ぼくは病理医であり、職務は病理診断である。この病理診断という仕事は決して一種類ではなく、いくつかのバリエーションがあるのだけれど、ぼくの場合は、「体の中から採ってきた細胞を見て、診断を書く」という仕事が多い。
たとえば胃カメラで胃の粘膜をチョンと小さくつまんできたら、それを顕微鏡で見て、胃炎や胃がんの判定をする。
はたまた胆石症の手術で採ってきた胆のう、胃がんの手術で採ってきた胃、肝臓がんの手術で採ってきた肝臓などをみる。
そういった仕事だ。全身のあらゆる臓器に発生する病気を目で見て診断する。自分で治療をすることはなく、処置をすることもない、「患者に対して手技を行わない」医者である。診断は下すが手は下さない、と言ったらいいかもしれない。
だから全身のありとあらゆる病気に詳しいぞ、と胸を張りたいところなのだけれども、じっさいには、「病理医がぜんぜんかかわらないで診療が行われる病気」がいっぱいある。というか、そういう病気のほうが多いかもしれない。
たとえば、腰痛。腰が痛いからといって、腰の筋肉や腱をつまんで検査に出すということは(普通は)ないだろう。つまんだほうが痛いじゃないか。肩こりや膝の痛みなどでも細胞を見る検査は行われない。
あるいは、血糖が高いとか、コレステロールや尿酸が高いとき。「血液の中に含まれる物質が多い」という異常を判断するために、細胞ひとつひとつを判定してもあまり役に立たない。逆に、貧血のように「血液の中に含まれる物質が少ない」ときも、細胞を顕微鏡で見ている場合ではない。
ほかにもある。心臓という大事な人体ポンプは、体中の血管というパイプの中に血液を送り出しているが、この血液の「流れ」に異常が出るといろいろな病気になりうる。「高血圧」はその代表だ。血液の成分自体に問題がなくても、パイプにかかる圧が高ければ臓器はダメージを受ける。また、脳につながっているパイプが詰まってしまうと脳梗塞(のうこうそく)という病気になるし、心臓を栄養するパイプが詰まれば心筋梗塞(しんきんこうそく)だ。これらの病気で、脳や心臓の細胞を採って顕微鏡で見ても、特に意味のある検査にはならない。パイプや血流の評価のほうがずっと大事なのだ。
そう考えると……。顕微鏡を用いた病理診断というのは、「異常な細胞がカタマリを作る病気」や、「細胞自体に決定的な変化が出る病気」などの、ごく一部の病気にしか役に立たないということになる。
パイプの詰まりやねじれによる病気や、大事な液体の成分が変わる病気では、病理診断はわりと無力である。感染症、循環器疾患、呼吸器疾患の多くは病理と交わらない。整形外科や精神科ともわりと疎遠である。
では、病理医は、病理診断を用いない科のドクターたちとあまり会話をしないのかというと……。
これは、人による。キャラクターにもよる。ぼくはわりと循環器内科医や呼吸器内科医、整形外科医、精神科医と話をするほうの病理医だ。「細胞を見る必要があまりない科なのに、なぜ?」と聞かれるが、これに対する返答はちょっと難しい。ざっくりと答えるならば、「細胞を見るだけが『病の理(やまいのことわり)』を追究することではないよ」となるのだが、この話は長くなるので、いずれまた。というか、過去のブログに死ぬほど書いてあるので興味がある人はさかのぼって見てください。