ぼくが医学生だったころの話。
5年生から6年生にかけて、「病棟実習」というのがあり、1年かけて大学病院のさまざまな科を回った。
たった1年しかないので、どこの科もせいぜい2週間くらいしか見学できない。
だから、覚えているのは断片的なイメージばかりだ。今の学生実習はもう少ししっかりしていると思うけれど、昔は結構、適当だった。期間の半分くらいは放っておかれていた印象がある。
外科では手術を見学した。実習前には、これを一番楽しみにしていた。オペを実際にこの目で見られるなんて!
しかし、手術中にやっていることは「棒立ちで体の中を見ている」に過ぎない。手術を行う医師たちの手元は、早くて細かくて、何をやっているかよくわからなかった。あっという間に飽きた。
考えてもみてほしい。あなたの家のエアコンが壊れたとする。慌てて業者を呼んで直してもらう。やってきた業者が、ふたをあけ、ネジを回し、何やら部品を取り替えているのを、横でいつまでもいつまでも見ていて楽しいか? 最初は「わぁ、そこが開くんだあ」なんてちょっとウキウキ見ていても、次第に、「あーあとは入れ替えてはめてきれいにして終わるんでしょ、わかった。」という気持ちになって、業者さんへの麦茶の差し入れでも作りに台所に逃げていくだろう。それと全く一緒だった。
ただ、なんか、「医者っぽいことをやってんなー」という実感だけを味わうような実習ではあったと思う。
外科の実習は手術見学だけではなかった。朝早くに、英語の論文を医局員が全員で読む勉強会があって、それにも出席しなければいけなかった。
当時の外科の教授は、毎日難しい手術に入ってバリバリ切りまくる武闘派だったが、朝の30分では必ず論文を読むと決めているのだと言い、医局員にもきちんと勉強し続けてもらうために、みんなで勉強会を企画しているのだそうだ。最初はいわゆる「ポーズ」かと疑った。毎日そんなに自分に関係のある論文が出ているわけもなかろうに……なんて思っていた。
しかし、外科の早朝勉強会はけっこう本格的だった。ガイドライン、適応、術式、統計、これまであまり勉強してこなかった高度な内容が英語で乱れ飛んでいた。ぼくは内心どこかで外科をなめていた。脳筋ヤロウの勉強なんて形だけだろ、くらいに思っていたのかもしれない。とんでもなかった。よく考えたら、よく考えなくても、この人たちは全員、医学部を卒業した「勉強が得意な人たち」だった。
ひええ、という気持ちで勉強会に出ていたある日、自分の近くに座っていた研修医に目がとまった。外科の勉強会は、ベテランばかりが参加しているわけではなく、当然、まだ医者になったばかりの研修医たちも参加する。若い医者を見ながら、ぼくもあと2,3年するとこれくらいの立場にはなっているわけだ、と感じざるを得なかった。ぼくは医師免許を取ったらすぐに病理の道に進むことを決めていたから、外科の研修医と同じ事をするわけではないにしろ、医者になったら「このレベルの英語」がわかるのがデフォルトなんだな、というプレッシャーはビンビンに感じた。勉強会についていけないと医局で孤立してしまうんだろうなあ、と、他人事とは思えない身震いがした。
ところが……。
よく見ると、その研修医は、配られた論文を自分のふとももの上においたまま、足を組んで何やら熱心にサンダルをいじっている。スクリーンにプロジェクタで論文が映し出されて、少し暗くなった医局の中で、彼は論文を見ずに自分の足と向き合っている。何をしているのだろう。数秒見て、ようやくその行為にピントが合う。
彼は、自分のサンダルに結んだ糸を、くり返しくり返し、「外科むすび」していた。
医者はすばやく糸を結ぶやり方を身につけなければいけない。切り傷を縫ったり、手術中に血管を縛ったりする必要があるからだ。彼はその「むすび」の練習を、自分のサンダルにくくりつけたヒモを使ってやっていた。えっ、と思って周りのドクターの足下を見てみると、若い医者の足下にはみんな糸がついていた。
ははあ、寸暇も惜しんで……。
でも、今は勉強会の最中なのに。
勉強会が終わって、手術見学に入る前に、その研修医を呼び止めて、「さっきの足のヒモをむすぶやつ、あれなんですか」と聞いてみた。すると彼は悪びれもせず、こう言った。
「まだ俺は勉強できる立場じゃねえし」
勉強できる、立場?
「そうだ、手技を身につけてない医者なんかお荷物だから。最初の数年はルートとって、糸結んで、挿管して、気管切開して、そういった手技が全部できるようになるのが第一歩、ていうかそれができなきゃ猿だよ」
人以下、ってことですか?
「そう。まずは人にならなきゃ。教授だってそうしろって言ってるよ。だから俺たちはまず、糸」
このことは強烈に頭に残った。
ただし、ぼくは、病理の大学院に進んで研究者になるつもりだった。研修医の言うことをそのまま鵜呑みにはできないな、とも感じていた。
「まずは、糸」ではない。
外科医にとっての「糸むすび」にあたるものは、研究者にとってはなんだろう?
当時のぼくは、それは「論文」であり、「本」だろう、と思った。
彼らが糸を自在に使えるように、ぼくは論文を自在に読めるようになりたいな、と思った。
結論からいうと、これはあまり正しくなかった。研究者には研究者の「糸むすび」的なものがあるが、それは必ずしも論文をガリガリ読むことではない。その後のぼくは、研究の世界では生き残れず、病理診断医を目指すことになるが、才能が足りなかったのはもちろんのこと、努力の方向性も間違っていたのだろう。
ただ、めぐりめぐって病理医になった今、あるいは当時のぼくが「糸むすび」のように本を読み続けていたことは、もしかすると、「糧」になっているかもしれないなあと、どこか、後付けで信じたくなることは、あるにはある。