2021年8月17日火曜日

病理の話(566) シマウマを探しに行ってしまうきもち

とっっっても大事な考え方であり、かつ有名すぎてマンガとかでもジャンジャン描かれている警句に、次のようなものがある。


「蹄(ひづめ)の音が聞こえたら、違う違う、象じゃ、象じゃない




……今のはまちがいだ。正確にはこう。


「蹄の音が聞こえたらそれはウマだろう。ほとんどの場合、シマウマじゃない」


もはや皆さんの頭の中には鈴木雅之しかいないと思うが、きちんと解説をする。


競馬場のそばで歩いているあなたの耳に、パッカパッカと音が聞こえたら、振り向くときに「ウマかな?」と思うのが普通だし、当然だし、それは実際、確率的にはウマである。


もっとも、パッカパッカと音を立てるのはウマとはかぎらない。シマウマだってパッカパッカする。ビサイド・オーラカだったらワッカワッカする。

けれども、競馬場のそばにシマウマがいる確率は低い。

それをあえて、逆張りして、「もしや……シマウマかも!?」と期待して振り向いても、まずたいていは裏切られる、ということだ。



この警句は医療においてとなえられる。

「お腹の右下の当たりがギュウウッと痛い、歩くと響く、脂汗を流している、さっき二度ほど吐いた、医者がお腹の右下の決まった部分を指でグッと押し込んだら患者はとても痛がった」

という症例で、医者がまず疑うべき「ウマ」は、虫垂炎(いわゆるモウチョウ)である。

ここで、虫垂炎を頭に思い浮かべることもせずに、「あ、これはおそらくきわめて特殊でまれな腸炎だろう」と、シマウマを探しに行くことは、順番としては違う

このように説明するとたいていの人は納得するはずだ。しかし、話はそう簡単でもないのである。



医者も人間だ。いつもいつも「理屈どおりに」診断が進むわけではない。

たとえば、自分が勉強したばかりの珍しい症例のことが頭から離れない、ということがある。「10万人に1人の病気でお腹の右下が痛くなることがある」なんて聞くと、医者は、「自分がその珍しい病気を真っ先に見つけたら患者のためになるだろうなあ」なんて、夢と野望を抱いてしまう。

めんどくさく書いたな。もっとわかりやすく、一言で語ろう。




医者は、功名心によって、「シマウマを我先に探しがち」なのである。




だから医療の世界には警句があるのだ。「それウマだよ。まずウマを考えな。シマウマはそのあとだよ」

病理診断でもすごく陥りがちなワナである。胃生検を見て毎回「胃梅毒」を探すことにやっきになって、ふつうにそのへんにいるピロリ菌を見逃す、みたいな。

でもね……正直なことを言うとね……。

病理医の場合はね、ウマもシマウマも象もビサイド・オーラカもいっぺんに探しに行くよ。なんかもう、そういう仕事ではあるんだよ。