眉毛だな、眉毛、眉毛が語っている。そう思った。
多彩な世代の個人が集まって、複雑系のネットワークのハブに佇む「要人」に、さまざまな思いの丈をぶつけるという番組を見ていた。
分析好きの中年たちは、さまざまなメディアを介して手に入れた「世界の一部だけを撮った写真」を元に、それぞれの視座からそれぞれの意見を語る。
意気揚々たる若者たちは、現場の熱を込めた打突を、「お上」に直接打ち込んでいく。
それを要人はひとり、眉毛を八の字にしながら噛みしめて、ひとりひとりの名前を復唱しながらずっと聞いていた。
「Twitterの2,3行には慣れていない、泥臭く、たとえばこのように1時間という長めの時間をついやして、じっくり語るスタイルしか取れない、なぜなら私たちはロートルだから」
と要人は語った。
ぼくはそのスタイルを見て言葉にならない畏敬を覚えた。
https://www.youtube.com/watch?v=WCDrIHwiV9g
カリカリしないことだ。かつ、感情を否定しないことでもある。すでに今の二つの文章が、どこか「矛盾」しているように思えるかもしれないが、そうではない、両方なのだ。自らはカリカリせず、だれかの不満や不安やイライラやストレスにはそのまま向き合っていく。
医療だなあと思った。