2021年8月6日金曜日

病理の話(563) 勉強の成果をほかで活かす

今日の話はわりとふわっふわした感じになるので、読まれる方もどうぞふわっふわした感じでお願いします。



病理医をやっていて、あるひとつの病気をよく勉強すると、ほかの病気の診療にも役立つことがある。


たとえば、サイトメガロウイルスというウイルスに感染した細胞には特徴的な変化が現れる。細胞の核の中に、ふつうの核には見られないような物質が溜まって、核がどでかく膨れるのだ。見つけるとぎょっとする。


サイトメガロウイルス感染細胞をきちんと見つけることはだいじだ。サイトメガロウイルス感染症には治療薬が存在する。病理医が見つけることで治療が前に進む。ただし、そう簡単ではない。ある程度の訓練が必要になる。


そして、サイトメガロウイルスに感染した細胞を見つけられるようになると……ある日……「ヘルペスウイルスに感染した口の粘膜の細胞」なんてものも見つけられるようになるのだ。これらはまったく同じ見た目ではないのだが、どこか似ていて、そうだな、ふわっふわしたことを言うと、細胞を見たときに、脳が、


「あっなんかウイルスくせえな!」


と叫ぶのである。この感覚はどうにも名状しがたい。ほんとうに脳がさけぶのだ。サイトメガロウイルスならともかくヘルペスウイルス感染細胞なんてそうそう見る機会はないし、それだけを毎日勉強しているわけでもないのだけれど、見つけた瞬間に、


「あっ今のウイルスじゃね!?」


と脳が反応してくれるのである。このふわっふわした本能的な感覚は診断においてはとても役に立つ。




膵臓に発生するやや特殊ながんには、ある種の特徴的な遺伝子変異が存在する。そのタイプのがんを毎日のように見て、目と脳が「その病気のあれこれ」を覚える。すると、ある日、胆管や胆のうなどにあらわれた病気を見たときに、「あっ例の遺伝子異常じゃん!」と突然脳が叫ぶこともある。


膵臓に出た病気のもつ遺伝子変異と、胆管や胆のうに出る病気のもつ遺伝子変異が、同じということはむしろまれなのだ。遺伝子ってのは本当にいっぱいあるからね。


でも、調べてみると、「脳が叫んだ症例」では、たしかに同じような遺伝子変異が見つかったりするのだ。ふわっふわしたことを言うとこれはもう直感的なやつで、「なんかそれっぽい!!」くらいの感覚で脳がバーッと叫ぶ。そこに理論をあとから付け足して、直感だけでなく理屈で診断ができるところまで実力を引き上げる必要があるのだけれど、とにかく、ふわっふわっ、「あっなんかそれっぽい!」ということはあるのだ。



乳腺の特殊ながんを見慣れていると、ぼうこうの特殊ながんに気づくことはある。

リンパ節を見慣れるうちに、類上皮細胞性肉芽腫が目に飛び込んでくるようになる。



このように、「ほかでの経験が役に立つ」というのは、いかにもヒトが病理診断をする上でのアドバンテージだよなあ……なーんて思っていた。人工知能ではこうはいかないだろう。肝臓の診断ができるようになったAIは、皮膚の診断には使えない。子宮の診断ができるようになったAIは、肺の診断には使えない。学習している臓器・病気でしか、AIは活躍できないはずだからだ。


ところが。


最近の人工知能研究では、「transfer learning」と言って……詳しいことはぼくもまだよくわからんのだが、「ほかで勉強した成果を、ぜんぜん違う診断にも活用する」というやり方があるらしい。びっくりである。ぼくの脳が「あっ、それっぽい!」と叫んでいたアレを、AIが代わりにやってくれるかもしれないのだ。すっげぇな。ふわっふわっ。