2021年8月20日金曜日

お祭りの心

学生さんが「TikTok楽しいですよ」と言った。ぼくは「おじさんはもうああいうキラキラしたところに混じっていくのはつらいなあ」と答えた。



ネットワークの中で、クリスマスツリーの電飾のように、自分がピカピカ光ることを考える。自分が光ったからと言ってまわりが連動して光るわけではない。自分が光ったからと言って誰かを明るく照らせるわけでもない。それくらいの小さな豆電球だ。

豆電球がいっぱい連なって、あちこちでピカピカ光っている。同期しているようにも、していないようにも見える。そういうツリーを遠くからぼうっと眺めてみると、全体として、なんだかきれいだな、楽しそうだなあという気持ちになる。ぼくはTikTokというのはそういうクリスマスツリーの世界だなあと思って見ている。

本当は「混じっていくのがつらい」わけではないのかもしれない。

ぼくもクリスマスツリーではないが、ねぶた祭りの電飾に混じってピカピカやっていることはある。Twitterというのはねぶたなのだ。みんながそこに乗っかって、発光したり反射したりしながら、大きな道をずんずんとゆっくり突き進んでいく。ねぶたに興味のない人は山ほどいる。ねぶた祭りを知らない人たちのほうがじつは多い。でも、ねぶたはときに、道で何やらでかい存在感を発揮することがあるのだった。




学生さんが「TikTok楽しいですよ」と言った。ぼくは「おじさんはもうああいうキラキラしたところに混じっていくのはつらいなあ」と答えたけれど、「おじさんもそう思うよ。楽しいよねああいうの」と答えればよかっただけなのかもしれない。クリスマスもねぶたも両方楽しめばよいのだ。なのに、何をそんなに、意固地になっているのだろう。