2021年8月25日水曜日

病理の話(569) 原因と結果を一方向の矢印でつなげるものばかりだと思わない

先日読んだ本にじつに含蓄のあることが書いてあった。


日ごろから患者の痛みに丁寧に向き合っている医療者はとっくにご存じかもしれないが、不安や心配は痛みの原因になりうる。ストレスが由来の痛みというのは、実際に存在する。

しかし、だからといって、診察室で、

「イライラや不安によって痛みが出ることがあります。心配事やストレスはありますか?」

と聞けばいいというものではない。「あなたの痛みは気の持ちようですよ」と言われているような気になってしまうだろう。


そうではなく、

「痛みが続くとイライラや怒り、不安が起こるのは自然なことです。あなたもそのような気持ちを感じていませんか?」

のほうが、その後の面接が深まりやすい、とその本は語る。ぼくはここで思わず唸った。



今のふたつの文章を単純に見比べると、因果がひっくり返っているように見える

前者は、「イライラ・不安(原因) → 痛み(結果)」であり、

後者は、「痛み(原因) → イライラ・不安(結果)」を思わせる。

しかし、そもそも身体に起こっていることは、ひとつの原因→ひとつの結果、という単純なものとは限らない。

前者は単純な因果を探りにいくタイプの尋ね方だが、

後者は複雑な現象の一端を明らかにしようと思っている。



ある痛みや苦しみが長く続くとき、その過程では、

何か小さなきっかけがあり → 症状が起こり → その症状が不快を招き → 不快が症状を悪化させ → またそれが不快につながり → ここで別の要因も加わってきて → さらに症状が悪化し → そのために不快感がどんどん増していく……

のように悪循環が起こっていることがある。

さまざまな要因が絡んでいる。こうなると、単純な一本の因果では病態すべてを語り尽くせない。



そのような複雑化した痛みに苦しむ患者を前にして、「たった一本の因果の筋道をあきらかにする」タイプの、いわゆる紋切り型の思考を促してしまう会話を、医師がはじめるべきではない。

「イライラや不安によって痛みが出ることがあります。心配事やストレスはありますか?」

という前者の聞き方は、あたかも、「イライラ・不安(原因) → 痛み(結果)」という単純な因果を医者が探っているかのように聞こえる。

でも、患者は、この長く続く痛みが「まさかイライラや不安だけのせいで起こっているなんて思えない」し、実際に、「それはイライラや不安が単一の原因だというような単純なメカニズムで起こっている痛みではない」のである。そのため、前者の聞き方は、丁寧ではないし、適切ではないし、じつのところ、科学的でもない。


さあ、後者の聞き方をもう一度眺めてみる。

「痛みが続くとイライラや怒り、不安が起こるのは自然なことです。あなたもそのような気持ちを感じていませんか?」

これなら、多くの患者が「それはあるな」と思えるだろう。そして、痛みのすべてを解明できるかどうかは置いておいて、自分という複雑な生き物にまとわりついているイライラや怒りの部分についての情報を医者と共有できるようになる。

すると、結果的に、先ほどの悪循環の、

何か小さなきっかけがあり → 症状が起こり → その症状が不快を招き → 不快が症状を悪化させ → またそれが不快につながり → ここで別の要因も加わってきて → さらに症状が悪化し → そのために不快感がどんどん増していく……

この中で太字で示した部分、複数箇所に登場する「重要項目のひとつ」である、イライラや怒りといった不快の情報が明らかになっていく。




医療の科学において私たちが常に気にしておかなければいけないことのひとつに、「複雑系で起こる現象を単純化しすぎてはいけない」というものがある。「長く続く痛みの医療」というのはまさにこれなのだ、ということを、私はこの本から学んでいる。病理組織学とはほとんど関係がないが、「痛みという病の理」を考える広義の病理学の本として、きわめて優れたテキストだなあと思っている。


『こころとからだにチームでのぞむ 慢性疼痛ケースブック』(医学書院)