患者がある病気にかかる。その病気が、「なんらかのカタマリを作る」たぐいの病気であれば、どこかのタイミングで病理診断が行われる。
病理診断では、病気によってできているカタマリの構成要因を直接顕微鏡で見ることで、病気の正体をさぐることができる。カタマリならまかせてほしい。
では、カタマリを作る病気にはどんなものがあるか? 代表的なものは、「がん」である。
胃がんならば胃のどこかに異常な細胞がカタマリになって増えるし、大腸がんも膵臓がんもカタマリを作る病気だ。悪性リンパ腫というがんは、リンパ節などに異常な細胞が増えて、リンパ節がパツンパツンに腫れるが、これもカタマリと言えばカタマリである。
ただし、カタマリをつくるのはがんばかりではない。たとえば、あるウイルスにかかると首のあちこちのリンパ節が小さくコロコロ腫れまくる。これは、ウイルスという外敵に、「人体内の警察官(≒免疫細胞)が駐屯する警察署」であるリンパ節が反応して、警察署内に人員を増員させるためにリンパ節の中が人口過密になってパンパンに腫れている。カタマリを作ってはいるが、「異常な細胞」が増えているわけではなく、「体の中にいる普通の細胞の数だけが増えている状態」であると言える。
ほかにもある。たとえば、胆石。胆のうの中に石ができて、これが胆のうの入り口に詰まってしまうと……正確には、詰まったり詰まらなかったりをくり返すと……昔懐かし「ラムネのビン」みたいな状態になって、胆のうの中に流れ込んだ胆汁(たんじゅう)が、ラムネのビー玉のように胆のうの入り口に詰まった石によって出られなくなり、結果として胆のうがパンパンに腫れる。これも広い意味では「カタマリ」だ。ただしこのとき「異常な細胞」が増えているわけではなく、「分泌物がふくろの中に充満している」わけだ。
おしっこをためる膀胱がパンパンになってもある意味カタマリだろう。
便秘で腸がパンパンに腫れてもカタマリには違いない。
あとはそうだなあ、足首をひねったとするでしょう。グキッと。1日くらい経つと、足首がパンパンに腫れる。これもある種の「カタマリ」ではあるじゃない。でも、これはがんなんかじゃなくて、「炎症」だ。皆さんも、なんとなく経験でご存じだと思う。
炎症は、「赤くなって、腫れて、熱くなって、痛くなる」。「発赤+腫脹+熱感+疼痛」。ケガがひどいと歩けなくなる(機能障害)。この「腫脹(腫れ上がる)」が、カタマリをつくる。
このように、「カタマリをつくる病気」だからといって、毎回そこに「がん細胞」が増えているとは限らない。逆に言えば、「カタマリがあれば直ちにがんだとは言えない」からこそ、そこにある細胞を採ってきて検査する病理診断の意味があるわけである。
さて、白血病という病気がある。これはがんの一種だが、基本的には「カタマリを作らない」病気だ。血管の中にがんの細胞が散らばっている。カタマリではないので、細胞を採ってきても異常な細胞が寄り集まっているシーンになかなか出くわさない。病理診断で白血病の診断をするのはやや難しいのである。しかし、まったく病理診断ができないわけではない。
白血病の細胞は血液の中を縦横無尽に動き回るのだが、骨髄(こつずい)と呼ばれる場所である程度寄り集まって待機していることがある。休憩所というか、F1レースのピットというか、なんとなくそういうイメージだ。そこで、「骨髄生検」という検査を行い、「わずかなカタマリを作っている白血病細胞」を顕微鏡でみることで、診断の手助けができる。
ただしこの、「骨髄生検」がけっこう痛いのだ。人にもよるが、やりたくない検査の上位にランクインされることで有名である。無駄な検査はしたくない、負担のかかる検査はしたくない、それでも、病理診断の強力さを知っていればこそ、主治医は申し訳ないなと思いながらも患者に骨髄生検の必要性を説く。そこまでして採ってきた骨髄だ、病理医も襟を正してしっかり診断をしなければいけない。